FC2ブログ
洋楽パラダイス
私が中高校生時代に流行した洋楽の曲を振り返るブログです。80年代が中心で、大学時代に流行した曲もあります。本業は高校の世界史教師


FC2カウンター



カレンダー

01 | 2019/02 | 03
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 - -



プロフィール

zep

Author:zep
70~80年代の英国ロックを振り返る「英国ロックの深い森の入り口」というブログもやっています。本業は高校の世界史教師。



最近のコメント



最近の記事



カテゴリー



google



ブログ内検索



RSSフィード



リンク

このブログをリンクに追加する



Google


スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


WATCH TOWER の『BLACK FUNK』シリーズ
 プリンスは、1986年(Parade Tour)、1989年(Lovesexy Tour)、1990年(Nude Tour)、 1996年(The Ultimate Experience (Gold) Tour)、 2002年(One Nite Alone... Tour)6回の日本公演を行った。このうち86年・89年・90年はワールド・ツアーの最終レグ、また92年はワールド・ツアーのスタートである。中学生の頃、『ミュージック・ライフ』などの雑誌で「やる気がない外タレ」の記事などを時々目にしていたが、プリンスの日本公演は常にハイテンションなステージであった。

 このうち89年Lovesexy Tourは、『BLACK FUNK』というタイトルを冠したシリースがWATCH TOWERというレーベルからリリースされていた。WATCH TOWERはジミヘンやツェッペリンを得意とした日本のコレクターズ・レーベルで、2001年から10年間くらい活動していた。良質な音源を多数リリースしており、「このレーベルなら安心して購入できる」イメージである。現在では活動していないようだが、ジミヘンやツェッペリン関係はヤフオクにでると今でも結構な人気で取り引きされるレーベルだ。

DSCF3401.jpg


 89年Lovesexy Tourは、88年にリリースされたアルバム『Lovesexy』にあわせて行われたワールド・ツアーで、同年7月のパリを皮切りに翌年2月の日本まで行われた。日本公演は2月1日(仙台)、4・5日(東京)、7・8日(名古屋)、10日(福岡)、12・13日(大阪)計8回のステージが行われ、最終日の大阪城ホールがワールドツアー千秋楽である。この公演で印象的なのは、プリンスの「愛想のよさ」だ。「センダ~イ!」「オッサッカ~!」「ナッゴッヤ~!」と地名を連呼し、「Are you ready?」「sing!」「Do you love me? I love you too!」「Let me hear your scream!」「Clap your hands!」等と積極的にオーディエンスとのコミュニケーションを図っている。この日本ツアーは、全米アルバムチャートでは『パレード』(86年)が最高位3位→『サイン・オブ・ザ・タイムス』(87年)が同6位→そして当時の最新作『Lovesexy』が同11位と徐々に人気が下降していた時期にあたる。シングル「アルファベット・ストリート」も全米シングルチャートで最高位8位であった。こうしたいわば正念場の中で、これまで「ミステリアスな変人で孤高の天才」のイメージだったプリンスも、積極的な姿勢を見せるようになったのだろう。当時はお蔵入りとなった『ブラック・アルバム』からの曲も演奏されている。


 WATCH TOWERの『BLACK FUNK』シリーズは以下の4アイテムがリリースされた。音質は全て最高のサウンドボード。ラインレコーディングゆえ観客の声がほとんど聞こえず、臨場感には乏しいがいずれも優良アイテムである。

 ①Black Funk Invitation (WT 2002052/3)
 ②Black Funk Relationship (WT2002054/5)
 ③Black Funk Street   (WT 2002104/5)
 ④Black Funk Rehearsal (WT 2002106/7)

 ①は2月1日の仙台公演。前年11月に全米ツアーを終え、約2ヶ月ぶりのステージということもあり、ほどよい緊張感と休養十分のエネルギーが感じられる。1000円均一のMoonchild Recordsから『LOVESEXY SENDAI』というタイトルでリリースされたので、そちらをどうぞ。4アイテムの中では一番いい音源だと思う。
 ②は2月7日の名古屋公演。③は12日の大阪公演。いずれも仙台に劣らずの高音質だが、大阪公演の音質が音圧が強くて最もいいような気がする。オーディエンスの反応もいいようだ。2月7日の名古屋は『Love Sexy Tour Nagoya 89』(Shakuntala. STCD-080/081)も同内容。④はタイトル通りリハーサル音源だが、大阪城ホールでのリハーサルらしい。日時不明。

 オープニングから20曲あまりをメドレーで演奏し(これだけでも相当なハードワークだと思われる)、後半は新作『ラヴセクシー』からの曲が中心。そしてアンコールが「レッツ・ゴー・クレイジー」から始まって「ホエン・ダヴス・クライ」「パープル・レイン」「1999」「アルファベット・ストリート」と怒濤のヒット曲のオンパレード。オーラスが新作からのシングルというのも、計算してのことだろう。以下は『Relationship』と『Street』のトラックリスト。

DISC1
 01. Housequake
 02. Slow Love
 03. Adore
 04. Delirious
 05. Jack U Off
 06. Sister
 07. Do Me, Baby
 08. I Wanna Be Your Lover (Intro)
 09. Head
 10. Girls And Boys
 11. A Love Bizarre
 12. When You Were Mine
 13. Little Red Corvette
 14. Controversy
 15. U Got The Look
 16. Superfunkycalifragisexy-Controversy
 17. Bob George
 18. Anna Stesia
 19. Cross The Line (SE)

DISC2
 01. Cross The Line (SE)
 02. Eye No
 03. Lovesexy
 04. Glam Slam
 05. The Cross
 06. I Wish U Heaven
 07. Kiss
 08. Dance On (Instrumental Version)
 09. Sheila E. Drum Solo
 10. When 2 R in Love
 11. Venus De Milo
 12. Starfish And Coffee
 13. Raspberry Beret
 14. Condition Of The Heart
 15. Strange Relationship
 16. When 2 R In Love
 17. Let's Go Crazy
 18. When Doves Cry
 19. Purple Rain
 20. 1999
 21. Alphabet St.
 22. Ending (SE)

スポンサーサイト

ダイ・フォー・ユー / プリンス&ザ・レヴォリューション
IMG_1482.jpg


 アルバム『パープル・レイン』から最後(4枚目)のシングルは「ダイ・フォー・ユー」 (I Would Die 4 U)。B面はアルバム未収の「Another Lonely Christmas」で、全米で8位まで上がりました。アメリカでのシングル・リリースは84年11月ですが、ドイツで89年(3インチ:921 185-2)、90年(5インチ:7599-21185-2)にCDシングルとしてリリースされました。このCDSのカップリングは
 1. Erotic City (Dance Mix) (7:24)
 2. I Would Die 4 U (Extended Version) (10:15)

 「エロティック・シテイ」はもともとシングル「レッツ・ゴー・クレイジー」のB面でアルバム未収なのに、「ダンス・ミックス」(ロング・ヴァージョン)があるとかオドロキ。バック・ヴォーカルはシーラ・Eです。『パープル・レイン・デラックス・エディション』には、"Make Love Not War Erotic City Come Alive"というサブタイトルがついて収録されています。


シーラ・Eの「エロティック・シティ」


Erotic City (Make Love Not War Erotic City Come Alive) (Original 12" Version)


 「ダイ・フォー・ユー」のエクステンディット・ヴァージョンも『パープル・レイン・デラックス・エディション』に収録されています(「Another Lonely Christmas」も!)。「ダイ・フォー・ユー」は2016年にプリンスが亡くなると再度チャートインし、5月14日の「ビルボード」で39位まで上がりました[https://www.billboard.com/charts/hot-100/2016-05-14]。










涙のレター / REOスピードワゴン
IMG_1480.jpg


 『ジョジョの奇妙な冒険』シリーズで、第三部「スターダスト・クルセイダーズ」から第六部「ストーン・オーシャン」までたびたび主人公を支えてきたのがスピードワゴン財団(SPW財団)。財団の設立者ロバート・E・O・スピードワゴンの由来となったのが、アメリカのバンドであるREOスピードワゴンです。

 このバンド、結成は1967年ということなので、なんと50年以上のキャリアがあります。とはいえ成功をつかむまでの道のりは長く、ようやくブレイクしたのは11枚目のアルバム(スタジオ・アルバムとしては9枚目)『Hi Infidelity』(邦題『禁じられた夜』)でした。
 『禁じられた夜』がアメリカでリリースされたのは1980年11月。その翌月には、『ダブル・ファンタジー』をリリースしたばかりのジョン・レノンが非業の最期を遂げてしまい、『ビルボード』のアルバムチャートはジョンの遺作となった『ダブル・ファンタジー』が首位を独走中(8週連続)でしたが、その『ダブル・ファンタジー』からトップの座を奪ったのが『禁じられた夜』でした。 『禁じられた夜』の先行シングルとして80年11月にリリースされた「Keep on Loving You」はゆっくりと、しかし確実にチャートを上昇し、翌年3月に全米1位となります。ちなみに前週の1位は、ドリー・パートンの「9トゥ5」で、一度トップの座から転落するも再度トップに返り咲くという強力なナンバーでした(年間チャートでは「9トゥ5」が9位で、「キープ・オン・ラヴィング・ユー」が10位)。続く「Don't Let Him Go」が24位、また「In Your Letter」も20位まで上がり、REOスピードワゴンはメジャーバンドの仲間入りを果たすことになりました。当時日本のマスコミでは、ヴォーカリストのケヴィン・クローニンの名前をもじって、「さすが苦労人!」と言われたものです。

 日本では「In Your Letter」が「涙のレター」というタイトルでカットされ、B面が「キープ・オン・ラヴィング・ユー」という豪華なカップリングでリリースされました。「涙のレター」の歌詞は、女性から男性に対して別れを告げる手紙のことを歌ったもので、ギタリストのゲイリー・リッチラス(現在は脱退)の作品です。この曲の歌詞は、メンバーのニール・ドーティ(key)がツアーを終えて帰宅したところ、妻からの別れを告げる手紙を見つけたという体験に基づくものだとか。ジャケットの写真のようなイメージです。60年代風でちょっとノスタルジックな雰囲気を持つ「涙のレター」もいいですが、モダンなバラードの「キープ・オン・ラヴィング・ユー」の方が私は好み....かな。

 1985年には、「涙のフィーリング」が全米No.1となり、かの「ライヴ・エイド」にも出演。クイーンの伝記映画『ボヘミアン・ラプソディ』にも彼らの名前が登場し、多くの人をあの時代に連れ戻しているようです。











ライツ・アウト / ピーター・ウルフ
IMG_1455.jpg


 J.ガイルズ・バンドを脱退したヴォーカリストのピーター・ウルフが1984年にリリースした1stソロ・アルバムからの3枚目のシングル。カットされた4枚の中では最大のヒットとなり、1984年9月15日付のビルボードで12位まであがりました。♪電気が消えてサイコーの気分だぜ、大好きなラジオにあわせて暗闇で踊るのさ~♪と、手をクルクル回しながら歌って踊るPVが印象的でした。



 曲の共作者としてクレジットされているドン・コヴェイはR&B界の大物で、以下日本版Wikipediaの彼の記事から引用です。
 サウスカロライナ州オレンジバーグ生まれ。牧師の父親を8歳の時に亡くし、その後歌手を志す。1956年にザ・レインボウズというドゥーワップ・グループの一員としてレコード・デビューを果たし、1957年にはリトル・リチャードのプロデュースによるシングル「Bip Bop Bip」を、「プリティ・ボーイ」という名義でアトランティック・レコードから発表した。1960年代にはドン・コヴェイ&ザ・グッドタイマーズとして多くの曲を発表。1964年のシングル・ヒット曲「Mercy Mercy」では無名時代のジミ・ヘンドリックスをレコーディングに起用しており、この曲はローリング・ストーンズのアルバム『アウト・オブ・アワ・ヘッズ』(1965年)でカヴァーされた。1965年に発表した「Seesaw」はBillboard Hot 100で44位、R&Bチャートで5位というヒットを記録。また、エタ・ジェイムズやオーティス・レディング等に楽曲を提供し、とりわけアレサ・フランクリンに提供した「チェイン・オブ・フールズ」が大ヒットした。1968年にはソロモン・バーク、アーサー・コンレイ、ベン・E・キング、ジョー・テックスと共に「ソウル・クラン」名義のシングル「ソウル・ミーティング」を発表。
1980年代に入るとソロ活動は低迷するが、1986年にリリースされたローリング・ストーンズのアルバム『ダーティ・ワーク』のレコーディングにバッキング・ボーカルで参加している。1992年に脳梗塞で倒れた。1993年にはリズム&ブルース・ファウンデーションからパイオニア・アワードの授与が決定されるが、1994年に開催された授賞式には出席できず、ニューヨークの自宅でルース・ブラウンから賞を授与された。2000年9月、久しぶりのアルバム『Adlib』を発表して本格的に活動を再開。同アルバムのジャケットはロン・ウッドが描き、ポール・ロジャース、ウィルソン・ピケット、リー・コニッツ、ヒューイ・ルイス、アン・ピーブルス等がゲスト参加した。2015年、78歳で死去。


 もともとJ.ガイルズ・バンドはブルース色の強いバンドでしたが、80年代に入って「カム・バック」(全米32位)、「ラヴ・スティンクス」(同30位)、「墜ちた天使」(同1位)といったヒットをとばし、それまでの「B級バンド」のイメージからポップなヒット曲を演奏するバンドへと変わっていきます。脱退の原因はピーターがソロ活動に専念したかったからだと言われてますが、実際は音楽的な主導権を握りつつあったキーボードのセス・ジャストマンとの確執が原因で、レイオフに近い形だったようです。セス・ジャストマンがヴォーカルと曲作りを担当したポップな「フライト・ナイトのテーマ」(1985年、ホラー・コメディ映画『フライト・ナイト』のテーマ、全米91位と惨敗したシングル)を聴くと、なるほどピーター・ウルフとは合わなかっただろうな思ってしまいます。



J.ガイルズ・バンド「フライト・ナイトのテーマ」


 その後ピーターは再結成したJ.ガイルズ・バンドに参加し、「J.ガイルズがいないJ.ガイルズ・バンド」のリード・ヴォーカルも務めています。2017年にJ.ガイルズが亡くなり、バンドは事実上幕を閉じました。

 この曲が収録されたアルバム『ライツ・アウト』は現在廃盤で、AmazonUSのマーケットプレイスでも結構な値がついています。ミック・ジャガーやエイドリアン・ブリュー、G.E.スミスらが参加しており、いいアルバムなんですがね。再発希望。


グロリア / ローラ・ブラニガン
IMG_1417.jpg


 才色兼備の女性シンガー、ローラ・ブラニガンが初めて全米トップ40にはいった曲。1982年11月に全米チャートで2位まで上がりました。2位は12月にかけて3週連続で、このときはライオネル・リッチー「トゥルーリー」、トニー・バジル「ミッキー」、ホール&オーツ「マンイーター」などに阻まれて惜しくも1位を逃してしまいました。なお、『キャッシュ・ボックス』誌では1位を獲得しています。







 70年代にはバンドのヴォーカリストとしてレコード・デビューを果たしていた彼女、この「グロリア」は、アルバム『Branigan』(邦題『グロリア』)から「All Night with Me」に続く2枚目のシングルです。オリジナルはイタリアのシンガー・ソングライター、ウンベルト・トッツィが1979年にリリースしたイタロ・ディスコ・ソング。オリジナルはスイスで1位をはじめ本国イタリアで2位、フランスとベルギーでともに3位などヨーロッパでヒットしました。

 水泳で鍛えた体から放たれるパワフルなヴォイスと、5オクターヴの声域を持つという高い歌唱力、そして「健康的な美人」というルックスが魅力でしたが、2004年8月26日、47歳という若さで脳動脈瘤のため亡くなっています。彼女は南アフリカやヨーロッパでの人気が高く、1999年には南アフリカ共和国で「Gloria '99 (The Remixes)」が、また2004年にはドイツで「Gloria 2004」がリリースされています。



Gloria (Marc Andrews 1999 Short Mix)



Gloria 2004 (Prodygee & Davis Remix)





ローラ・ブラニガンの公式サイト  http://www.laurabraniganonline.com/







上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。