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洋楽パラダイス
私が中高校生時代に流行した洋楽の曲を振り返るブログです。80年代が中心で、大学時代に流行した曲もあります。本業は高校の世界史教師


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Author:zep
70~80年代の英国ロックを振り返る「英国ロックの深い森の入り口」というブログもやっています。本業は高校の世界史教師。



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ライツ・アウト / ピーター・ウルフ
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 J.ガイルズ・バンドを脱退したヴォーカリストのピーター・ウルフが1984年にリリースした1stソロ・アルバムからの3枚目のシングル。カットされた4枚の中では最大のヒットとなり、1984年9月15日付のビルボードで12位まであがりました。♪電気が消えてサイコーの気分だぜ、大好きなラジオにあわせて暗闇で踊るのさ~♪と、手をクルクル回しながら歌って踊るPVが印象的でした。



 曲の共作者としてクレジットされているドン・コヴェイはR&B界の大物で、以下日本版Wikipediaの彼の記事から引用です。
 サウスカロライナ州オレンジバーグ生まれ。牧師の父親を8歳の時に亡くし、その後歌手を志す。1956年にザ・レインボウズというドゥーワップ・グループの一員としてレコード・デビューを果たし、1957年にはリトル・リチャードのプロデュースによるシングル「Bip Bop Bip」を、「プリティ・ボーイ」という名義でアトランティック・レコードから発表した。1960年代にはドン・コヴェイ&ザ・グッドタイマーズとして多くの曲を発表。1964年のシングル・ヒット曲「Mercy Mercy」では無名時代のジミ・ヘンドリックスをレコーディングに起用しており、この曲はローリング・ストーンズのアルバム『アウト・オブ・アワ・ヘッズ』(1965年)でカヴァーされた。1965年に発表した「Seesaw」はBillboard Hot 100で44位、R&Bチャートで5位というヒットを記録。また、エタ・ジェイムズやオーティス・レディング等に楽曲を提供し、とりわけアレサ・フランクリンに提供した「チェイン・オブ・フールズ」が大ヒットした。1968年にはソロモン・バーク、アーサー・コンレイ、ベン・E・キング、ジョー・テックスと共に「ソウル・クラン」名義のシングル「ソウル・ミーティング」を発表。
1980年代に入るとソロ活動は低迷するが、1986年にリリースされたローリング・ストーンズのアルバム『ダーティ・ワーク』のレコーディングにバッキング・ボーカルで参加している。1992年に脳梗塞で倒れた。1993年にはリズム&ブルース・ファウンデーションからパイオニア・アワードの授与が決定されるが、1994年に開催された授賞式には出席できず、ニューヨークの自宅でルース・ブラウンから賞を授与された。2000年9月、久しぶりのアルバム『Adlib』を発表して本格的に活動を再開。同アルバムのジャケットはロン・ウッドが描き、ポール・ロジャース、ウィルソン・ピケット、リー・コニッツ、ヒューイ・ルイス、アン・ピーブルス等がゲスト参加した。2015年、78歳で死去。


 もともとJ.ガイルズ・バンドはブルース色の強いバンドでしたが、80年代に入って「カム・バック」(全米32位)、「ラヴ・スティンクス」(同30位)、「墜ちた天使」(同1位)といったヒットをとばし、それまでの「B級バンド」のイメージからポップなヒット曲を演奏するバンドへと変わっていきます。脱退の原因はピーターがソロ活動に専念したかったからだと言われてますが、実際は音楽的な主導権を握りつつあったキーボードのセス・ジャストマンとの確執が原因で、レイオフに近い形だったようです。セス・ジャストマンがヴォーカルと曲作りを担当したポップな「フライト・ナイトのテーマ」(1985年、ホラー・コメディ映画『フライト・ナイト』のテーマ、全米91位と惨敗したシングル)を聴くと、なるほどピーター・ウルフとは合わなかっただろうな思ってしまいます。

J.ガイルズ・バンド「フライト・ナイトのテーマ」


 その後ピーターは再結成したJ.ガイルズ・バンドに参加し、「J.ガイルズがいないJ.ガイルズ・バンド」のリード・ヴォーカルも務めています。2017年にJ.ガイルズが亡くなり、バンドは事実上幕を閉じました。

 この曲が収録されたアルバム『ライツ・アウト』は現在廃盤で、AmazonUSのマーケットプレイスでも結構な値がついています。ミック・ジャガーやエイドリアン・ブリュー、G.E.スミスらが参加しており、いいアルバムなんですがね。再発希望。

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グロリア / ローラ・ブラニガン
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 才色兼備の女性シンガー、ローラ・ブラニガンが初めて全米トップ40にはいった曲。1982年11月に全米チャートで2位まで上がりました。2位は12月にかけて3週連続で、このときはライオネル・リッチー「トゥルーリー」、トニー・バジル「ミッキー」、ホール&オーツ「マンイーター」などに阻まれて惜しくも1位を逃してしまいました。なお、『キャッシュ・ボックス』誌では1位を獲得しています。







 70年代にはバンドのヴォーカリストとしてレコード・デビューを果たしていた彼女、この「グロリア」は、アルバム『Branigan』(邦題『グロリア』)から「All Night with Me」に続く2枚目のシングルです。オリジナルはイタリアのシンガー・ソングライター、ウンベルト・トッツィが1979年にリリースしたイタロ・ディスコ・ソング。オリジナルはスイスで1位をはじめ本国イタリアで2位、フランスとベルギーでともに3位などヨーロッパでヒットしました。

 水泳で鍛えた体から放たれるパワフルなヴォイスと、5オクターヴの声域を持つという高い歌唱力、そして「健康的な美人」というルックスが魅力でしたが、2004年8月26日、47歳という若さで脳動脈瘤のため亡くなっています。彼女は南アフリカやヨーロッパでの人気が高く、1999年には南アフリカ共和国で「Gloria '99 (The Remixes)」が、また2004年にはドイツで「Gloria 2004」がリリースされています。



Gloria (Marc Andrews 1999 Short Mix)



Gloria 2004 (Prodygee & Davis Remix)





ローラ・ブラニガンの公式サイト  http://www.laurabraniganonline.com/





風立ちぬ / クリストファー・クロス
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 前代未聞ののグラミー賞5冠という華々しいデビューを飾った、クリストファー・クロスが最初にリリースしたデビュー・シングル。澄んだヴォーカルが魅力のロックナンバー。原題は「Ride Like the Wind」で、全米チャートの最位は2位。とはいえ2位は4週連続という、新人としては大きな快挙。ちなみに「風立ちぬ」の1位を阻んだのは、ブロンディの「コール・ミー」でした。こちらは6週連続トップで、年間チャートでもトップだったというメガヒット。運が悪い。松田聖子の同名異曲や、堀辰雄の小説とスタジオジブリ制作の映画などロマンティックな雰囲気を感じるタイトルですが、クリストファー・クロスの曲の歌詞の内容は、無法者が追っ手を逃れてメキシコ国境まで「ride like the wind to be free again(もう一度自由を得るため、風のように疾走する)」という殺伐とした内容です。
 この曲は、デビューアルバム『Christopher Cross』(邦題『南から来た男』)から最初のシングルですが、バック・ヴォーカルにドゥービー・ブラザースのマイク・マクドナルド、ギターにジェイ・グレイドン他の有名腕利きミュージシャンが参加しています。アルバムの他の曲にはJ.D.サウザーが参加するなど、レコード会社のワーナーもかなり力を入れていたのでしょう。一方で、デビュー当初は本人の顔出しを一切排除し、トレードマークの「フラミンゴ」で代用するというプロモーションを行っていました。日本盤7インチのライナーには「僅かなバイオによると、テキサス出身でサン・アントニオでロック・グループ"フラッシュ"を結成し、ディープ・パープル、レッド・ツェッペリンなどのサポート・バンドとして活躍。その後ソロとなってクラブ・サーキットの活動を続けていたということ。そして何とハロウィーンの晩('78年)に仮面装束のまま演奏している彼をワーナー・ブラザースが発掘し、素顔を見ないまま契約を結んだということです。」と、あります。
 
 現在も自分のレーベルからのアルバムリリースやツアーを行うなど、元気に活動中です。
クリストファー・クロスのオフィシャル・サイト 
  http://www.christophercross.com/










キッス・オン・マイ・リスト / ダリル・ホール&ジョン・オーツ

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 ホール&オーツ9枚目のアルバム『モダン・ヴォイス』(原題は『Voices』、80年)から(本国では)3枚目のシングルで、81年4月に3週連続No.1を獲得しました。77年の「リッチ・ガール」以来2曲目の全米No.1獲得した曲で、MTVの放送開始初日に放送された曲のひとつです。https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_first_music_videos_aired_on_MTV
 高校生の頃、「キッス・オン・マイ・リスト」の「リスト」を「wrist(手首)」だと思っていた私は、この曲を熱いラヴ・ソングだと思っていましたが、your kiss is on my list ということで、one of them ということなんでしょうね。

 本国では「アフリカ」がB面ですが、日本ではライチャス・ブラザースのカヴァー「ふられた気持ち(You've Lost That Lovin' Feelin)」がB面となっています(この「ふられた気持ち」は、本国で2枚目のシングルとしてリリースされ、12位とヒットした曲です)。「キッス・オン・マイ・リスト」のコンポーザークレジットは、ダリル・ホールとジャンナ・アレン。ジャンナ・アレンは、ダリル・ホールの長年のパートナーだったサラ・アレンの妹で、この曲以降多くのヒット曲をホール&オーツと共作していますが、白血病のため93年に36歳の若さで亡くなっています。英語版Wikipediaその他によれば、元々この曲はダリル・ホールがジャンナ・アレンのために作った曲で、彼が作ったデモにバック・ヴォーカルとドラムその他をオーヴァーダブして完成したとのこと(録り直しはしていない)。ダリル・ホールは、この曲におけるローランド社製リズムボックスCR-78(コンピュリズム~イントロのカウントの音)が気に入ったようです。
https://medium.com/@LegacyRecordings/35-things-you-didn-t-know-about-aabee0c9f77f

アルバム『モダン・ヴォイス』は、彼らが初の完全セルフ・プロデュースに挑んだアルバムで(前2作はデヴィッド・フォスターのプロデュース)、年間チャートでも8位とヒットし、彼らの快進撃の始まりを告げた作品です。ジミ・ヘンドリックスが設立したことで知られる、ニューヨークのエレクトリック・レディ・スタジオでレコーディングされました。










アライヴ・アンド・キッキング / シンプル・マインズ
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 スコットランド出身のバンド、シンプル・マインズ7枚目のアルバム『ワンス・アポン・ア・タイム』(85年)からの最初のシングルで、全米チャートでは最高位3位。この曲がヒットした85年12月から翌年1月はライネル・リッチーの『セイ・ユー、セイ・ミー』と時期が重なってしまい、2週連続3位という残念な結果。前のシングル「ドント・ユー?」が1位を獲得しただけに惜しいところでした。しかしアルバムも全米10位とヒットし、イギリスのマイナーなニュー・ウェイヴ・バンドだったシンプル・マインズは、スタジアム・バンドとしての地位を確立します。



 プロデューサーは80年代のサウンドを代表するジミー・アイオヴァインとボブ・クリアマウンテンの黄金コンビで、ダイナミックながらコーラスとピアノが印象的なサウンドに仕上がっています。プロモーション・ヴィデオは、ポーランド出身の映像作家ズビグニュー・リプチンスキー(1982年にアカデミー短編アニメ賞を受賞)が監督した作品。



 2015年には『ワンス・アポン・アタイム』のデラックス・エディションがリリースされ、アルバム未収だった「ドント・ユー?」も収録されました。 昨年結成40周年を迎え、日本でのリリースはありませんが現在も元気に活動中で、ツアーも精力的に行っています。まさにAlive And Kicking。
 公式サイト https://www.simpleminds.com/








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