洋楽パラダイス
私が中高校生時代に流行した洋楽の曲を振り返るブログです。80年代が中心で、大学時代に流行した曲もあります。本業は高校の世界史教師


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70~80年代の英国ロックを振り返る「英国ロックの深い森の入り口」というブログもやっています。本業は高校の世界史教師。



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グロリア / ローラ・ブラニガン
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 才色兼備の女性シンガー、ローラ・ブラニガンが初めて全米トップ40にはいった曲。1982年11月に全米チャートで2位まで上がりました。2位は12月にかけて3週連続で、このときはライオネル・リッチー「トゥルーリー」、トニー・バジル「ミッキー」、ホール&オーツ「マンイーター」などに阻まれて惜しくも1位を逃してしまいました。なお、『キャッシュ・ボックス』誌では1位を獲得しています。







 70年代にはバンドのヴォーカリストとしてレコード・デビューを果たしていた彼女、この「グロリア」は、アルバム『Branigan』(邦題『グロリア』)から「All Night with Me」に続く2枚目のシングルです。オリジナルはイタリアのシンガー・ソングライター、ウンベルト・トッツィが1979年にリリースしたイタロ・ディスコ・ソング。オリジナルはスイスで1位をはじめ本国イタリアで2位、フランスとベルギーでともに3位などヨーロッパでヒットしました。

 水泳で鍛えた体から放たれるパワフルなヴォイスと、5オクターヴの声域を持つという高い歌唱力、そして「健康的な美人」というルックスが魅力でしたが、2004年8月26日、47歳という若さで脳動脈瘤のため亡くなっています。彼女は南アフリカやヨーロッパでの人気が高く、1999年には南アフリカ共和国で「Gloria '99 (The Remixes)」が、また2004年にはドイツで「Gloria 2004」がリリースされています。



Gloria (Marc Andrews 1999 Short Mix)



Gloria 2004 (Prodygee & Davis Remix)





ローラ・ブラニガンの公式サイト  http://www.laurabraniganonline.com/




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風立ちぬ / クリストファー・クロス
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 前代未聞ののグラミー賞5冠という華々しいデビューを飾った、クリストファー・クロスが最初にリリースしたデビュー・シングル。澄んだヴォーカルが魅力のロックナンバー。原題は「Ride Like the Wind」で、全米チャートの最位は2位。とはいえ2位は4週連続という、新人としては大きな快挙。ちなみに「風立ちぬ」の1位を阻んだのは、ブロンディの「コール・ミー」でした。こちらは6週連続トップで、年間チャートでもトップだったというメガヒット。運が悪い。松田聖子の同名異曲や、堀辰雄の小説とスタジオジブリ制作の映画などロマンティックな雰囲気を感じるタイトルですが、クリストファー・クロスの曲の歌詞の内容は、無法者が追っ手を逃れてメキシコ国境まで「ride like the wind to be free again(もう一度自由を得るため、風のように疾走する)」という殺伐とした内容です。
 この曲は、デビューアルバム『Christopher Cross』(邦題『南から来た男』)から最初のシングルですが、バック・ヴォーカルにドゥービー・ブラザースのマイク・マクドナルド、ギターにジェイ・グレイドン他の有名腕利きミュージシャンが参加しています。アルバムの他の曲にはJ.D.サウザーが参加するなど、レコード会社のワーナーもかなり力を入れていたのでしょう。一方で、デビュー当初は本人の顔出しを一切排除し、トレードマークの「フラミンゴ」で代用するというプロモーションを行っていました。日本盤7インチのライナーには「僅かなバイオによると、テキサス出身でサン・アントニオでロック・グループ"フラッシュ"を結成し、ディープ・パープル、レッド・ツェッペリンなどのサポート・バンドとして活躍。その後ソロとなってクラブ・サーキットの活動を続けていたということ。そして何とハロウィーンの晩('78年)に仮面装束のまま演奏している彼をワーナー・ブラザースが発掘し、素顔を見ないまま契約を結んだということです。」と、あります。
 
 現在も自分のレーベルからのアルバムリリースやツアーを行うなど、元気に活動中です。
クリストファー・クロスのオフィシャル・サイト 
  http://www.christophercross.com/










キッス・オン・マイ・リスト / ダリル・ホール&ジョン・オーツ

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 ホール&オーツ9枚目のアルバム『モダン・ヴォイス』(原題は『Voices』、80年)から(本国では)3枚目のシングルで、81年4月に3週連続No.1を獲得しました。77年の「リッチ・ガール」以来2曲目の全米No.1獲得した曲で、MTVの放送開始初日に放送された曲のひとつです。https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_first_music_videos_aired_on_MTV
 高校生の頃、「キッス・オン・マイ・リスト」の「リスト」を「wrist(手首)」だと思っていた私は、この曲を熱いラヴ・ソングだと思っていましたが、your kiss is on my list ということで、one of them ということなんでしょうね。

 本国では「アフリカ」がB面ですが、日本ではライチャス・ブラザースのカヴァー「ふられた気持ち(You've Lost That Lovin' Feelin)」がB面となっています(この「ふられた気持ち」は、本国で2枚目のシングルとしてリリースされ、12位とヒットした曲です)。「キッス・オン・マイ・リスト」のコンポーザークレジットは、ダリル・ホールとジャンナ・アレン。ジャンナ・アレンは、ダリル・ホールの長年のパートナーだったサラ・アレンの妹で、この曲以降多くのヒット曲をホール&オーツと共作していますが、白血病のため93年に36歳の若さで亡くなっています。英語版Wikipediaその他によれば、元々この曲はダリル・ホールがジャンナ・アレンのために作った曲で、彼が作ったデモにバック・ヴォーカルとドラムその他をオーヴァーダブして完成したとのこと(録り直しはしていない)。ダリル・ホールは、この曲におけるローランド社製リズムボックスCR-78(コンピュリズム~イントロのカウントの音)が気に入ったようです。
https://medium.com/@LegacyRecordings/35-things-you-didn-t-know-about-aabee0c9f77f

アルバム『モダン・ヴォイス』は、彼らが初の完全セルフ・プロデュースに挑んだアルバムで(前2作はデヴィッド・フォスターのプロデュース)、年間チャートでも8位とヒットし、彼らの快進撃の始まりを告げた作品です。ジミ・ヘンドリックスが設立したことで知られる、ニューヨークのエレクトリック・レディ・スタジオでレコーディングされました。










アライヴ・アンド・キッキング / シンプル・マインズ
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 スコットランド出身のバンド、シンプル・マインズ7枚目のアルバム『ワンス・アポン・ア・タイム』(85年)からの最初のシングルで、全米チャートでは最高位3位。この曲がヒットした85年12月から翌年1月はライネル・リッチーの『セイ・ユー、セイ・ミー』と時期が重なってしまい、2週連続3位という残念な結果。前のシングル「ドント・ユー?」が1位を獲得しただけに惜しいところでした。しかしアルバムも全米10位とヒットし、イギリスのマイナーなニュー・ウェイヴ・バンドだったシンプル・マインズは、スタジアム・バンドとしての地位を確立します。



 プロデューサーは80年代のサウンドを代表するジミー・アイオヴァインとボブ・クリアマウンテンの黄金コンビで、ダイナミックながらコーラスとピアノが印象的なサウンドに仕上がっています。プロモーション・ヴィデオは、ポーランド出身の映像作家ズビグニュー・リプチンスキー(1982年にアカデミー短編アニメ賞を受賞)が監督した作品。



 2015年には『ワンス・アポン・アタイム』のデラックス・エディションがリリースされ、アルバム未収だった「ドント・ユー?」も収録されました。 昨年結成40周年を迎え、日本でのリリースはありませんが現在も元気に活動中で、ツアーも精力的に行っています。まさにAlive And Kicking。
 公式サイト https://www.simpleminds.com/






ハングリー・ライク・ザ・ウルフ / デュラン・デュラン
 ピート・バーンズ、ジョージ・マイケル、マイコー・ジャクソンは鬼籍に入り、ボーイ・ジョージは「間もなく新作リリース」というアナウンスがあったもののその後行方不明。そうした80年代アーティストの中で、いまだ(バリバリの、とは言えないまでも)現役なのがデュラン・デュラン。2017年にも来日して、武道館公演を行いました。

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 「ハングリー・ライク・ザ・ウルフ」は彼らの5枚目のシングルで、2枚目のアルバム『リオ』(82年)からの最初のシングルです。それまでは一介のアイドルバンドと見なされてきた彼らですが、この曲で初めてアメリカン・チャートにランクインし、ビルボード全米チャートの3位となりました。



 曲のベーシック・トラックは、共に歴史的名機の誉れ高いドラムマシーンTR-808とアナログシンセのジュピター8(どちらも日本のローランド社製)を駆使して、ニック・ローズが作り上げたものです。この曲は『リオ』収録にあたってプロデューサーのコリン・サーストンのもとで再レコーディングされますが、ベーシック・トラックはオリジナルのまま。コリン・サーストンはトニー・ヴィスコンティのもとでボウイの名盤『ヒーローズ』のエンジニアを務めた人物で、80年代にはプロデューサーとしても活躍した人物(故人)。この曲におけるアンディ・テイラーのギターが、些かマーク・ボラン的(T.レックスの「ゲット・イット・オン」のギター・フレーズにそっくり)なのはそういった背景もあるかもしれません。『リオ』の翌年、ニック・ローズとコリン・サーストンの2人は連名でカジャグーグーの「君はToo Shy」をプロデュースし、大ヒットさせることになります。ちなみにイントロのの笑い声やエンディングの叫び声の主は、ニック・ローズの当時のガールフレンドdった女性のもの。

 この曲が最初にアメリカでリリースされたのは1982年の6月ですが、まったくヒットしませんでした。しかし同年12月に再リリースれされ、翌1983年の3月26日付で最高位3位となります [https://www.billboard.com/charts/hot-100/1983-03-26]。このチャートアクションに貢献したのが、MTVです。ラッセル・マルケイ(バグルス「ラジオ・スターの悲劇」やキム・カーンズ「ベティ・デイヴィスの瞳」など)が手がけたこの曲のPVがMTVでヘヴィローテーションとなり、異例の再発ヒットとなったわけです。撮影はスリランカで行われたとか。こうしたMTVを通じたヒットにより、グラミー賞でもミュージックビデオを対象とした賞「Grammy Award for Best Short Form Music Video(最優秀短編ミュージック・ビデオ賞)」が1984年に始まり、「グラビアの美少女」「ハングリー・ライク・ザ・ウルフ」の2曲によりデュラン・デュランが初代のウィナーとなりました。