洋楽パラダイス
私が中高校生時代に流行した洋楽の曲を振り返るブログです。80年代が中心で、大学時代に流行した曲もあります。本業は高校の世界史教師


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70~80年代の英国ロックを振り返る「英国ロックの深い森の入り口」というブログもやっています。本業は高校の世界史教師。



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セント・エルモス・ファイアー / ジョン・パー
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 イギリス出身のシンガー、ジョン・パーによる1985年の全米No.1ヒット。9月に2週連続の1位を記録しています。ジョン・パーは同じく85年に「ノーティ・ノーティ」が全米23位となっています。タイトルの「セント・エルモの火」とは、悪天候時などに船のマストの先端が発光する現象で、セント・エルモ(聖エルモ、エラスムス)は船乗りの守護聖人。



 この曲は、ジョエル・シュマッカー監督による同名映画の主題歌としてヒットしましたが(PVのラストでは、ジョン・パーが出演者と談笑するシーンもあるものの)、映画のためにつくられた曲ではなく、カナダ出身のパラリンピアン、リック・ハンセンのために書かれた曲です。曲のイメージが映画にあっていたため、映画のタイトルになったことから、翌86年のアカデミー賞歌曲賞にノミネートされたものの、映画のために書かれたもの曲ではないという理由で受賞できませんでした。

 リック・ハンセンは15歳の時で脊髄損傷のため車いす生活となり、以後車いすマラソンのアスリートとして活躍した選手。1985年から2年をかけて、脊髄損傷研究基金設立の寄付を募るため車いすでの世界一周を敢行し、その旅が「Man in Motion Tour」という名称でした。この「Man in Motion」が曲のサブタイトルなっています。彼は日本でも、札幌から東京まで車いすで走ったそうで、彼のエピソードは、子ども向けの本にもなっています。ジョン・パーの公式サイトには「30th Anniversary - Rick Hansen Returns From Man In Motion Tour」という記事が掲載されています。

 作曲とプロデュースは、名手デヴィッド・フォスター。バックはフォスターをはじめ、デヴッド・ペイチ、スティーヴ・ポカロ、スティーヴ・ルカサーといったTOTOのメンバーが固めていますが、バック・ヴォーカルにはリチャード・ペイジが参加しています。彼は「セント・エルモス・ファイアー」が1位となった9月から3ヶ月後の12月、Mr.ミスターを率いて「ブロウクン・ウィングス」を大ヒットさせることになります。

 「ノーテイ・ノーティ」がヒットしたとき、「かつてジョン・パーは記憶喪失だった」というインフォメーションが広く流れていました。日本盤シングルには「過去の記憶を失った男が放つ、入魂のデビュー・シングル!」と印刷されていたほどです。当時、「記憶を失って保護されたとき、自分の歌を録音したデモテープを持っていたが、それがあまりに素晴らしかったためデビューした」とか「保護した人がたまたま音楽関係者で、の車の中で歌ったのを耳にして惚れ込んだ、」というエピソードが流れていました。真偽は定かではありません。

Naughty Naughty


 現在でも元気に活動中のようで、公式サイト(http://www.johnparr.net/)には、今年の秋にフォリナー結成40周年記念UKツアーへ同行することが告知されています。



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オンリー・ザ・ロンリー / モーテルズ
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 紅一点のヴォーカル、マーサ・ディヴィスを中心としたモーテルズの3rdアルバム『L.A.から来た女(原題:All Four One)』(1982年)からの最初のシングル。ティル・チューズデイの「愛のVoices(Voices Carry)」(85年)・クォーターフラッシュの「ミスティ・ハート(Harden My Hear)」(81年)と並ぶ「(私が選んだ)80年代紅一点バンドの切ない系3大名曲」のひとつで、全米で9位まで上がった曲です。



 この9位という最高位はなかなか微妙で、「4週連続」という但し書きが必要です。この曲が9位になったのは、82年7月17日。翌週には、スティーヴ・ミラー・バンドの「アブラカダブタ」(11位→6位・最高位1位)、翌々週にはシカゴの「素直になれなくて(Hard To Say I'm Sorry)」(11位→6位・最高位1位)、8月に入っても、8月7日付ではREOスピートワゴンの「キープ・ザ・ファイアー・バーニン」(10位→8位)、エア・サプライの「さよならロンリー・ラブ(Even The Nights Are Better)」といった後発の曲に次々と抜かれていき、そしてついに8月14日付では11位にランクダウンしてしまいます。同時期の上位には、サバイバーの「アイ・オブ・ザ・タイガー」(6週連続1位)、ヒューマン・リーグ「愛の残り火」(3週連続1位)、ポール・マッカートニー&スティーヴィー・ワンダー「エボニー・アンド・アイボリー」(7週連続1位)といった強力なナンバーが目白押しで、その意味でも不運なチャートアクションでした。TOTOの名曲「ロザーナ」も、この時期に重なってしまった不運な曲です。「ロザーナ」は翌年の83年にグラミー賞最優秀レコード賞を受賞しましたが、7月3日付から5週連続2位をキープしたものの結局1位となれませんでした。



 この曲にかわって前週の12位から9位に上昇したのは、Go-Go'sの「バケーション(Vacation)」。モーテルズとGo-Go'sはともにロサンゼルスを拠点にしていたことからメジャーデビュー前から親交があり、英語版WIkipediaによれば両バンドはリハーサル用のスペースをシェアしていたそうです。

 『L.A.から来た女』からの2枚目のシングル「Take The L.」は、最高位52位でした。「Take the L out of lover and it's over」という歌詞はなかなかユニーク。


  モーテルズは1987年に解散し、マーサ・デイヴィスはソロになりました。98年に再結成し、2011年にはお蔵入りとなっていた『Apocalypso』(81年に3rdアルバムとしてリリース予定だった作品)がリリースされました。現在もコンスタントに活動しています。


2015年のステージ



2016年のステージ







キリエ / Mr.ミスター
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 Mr.ミスターの2ndアルバム『ウェルカム・トゥ・ア・リアル・ワールド』(85年)から、全米No.1となった「ブロウクン・ウィングス」に続く2枚目のシングル。この曲も86年3月に2週連続で1位を記録し、年間チャートでも9位にランクされています。前作「ブロウクン・ウィングス」が暗めの曲だったのに対し、明るいロック調のナンバーで、リチャード・ペイジのハイ・トーンのヴォーカルが冴える曲です。歌詞に出てくる「キリエ・エレイソン(Kyrie eleison)」とは、ギリシア語で「主よ、憐れみたまえ」の意味で、キリスト教会の典礼で用いられる重要な文言のひとつ。4分25秒のアルバム・ヴァージョンはフェード・アウトで終わりますが、4分18秒のシングル・エディットは、"Kýrie, eléison, down the road that I must travel"という歌詞が演奏なしで歌われて終わります。



 プロデューサーのポール・デヴィリアーズ(Paul De Villiers)は、イエスの『ビッグ・ジェネレーター』の制作途中でトレヴァー・ホーンが降板した後、プロデュースを引き継いだ人物。『ウェルカム・トゥ・ア・リアル・ワールド』全体を包む80年代エレクトロニクスの感覚は、彼の手によるものでしょう。AllMusicの『ビッグ・ジェネレーター』の項目では、デヴィリアーズ自身が興味深い内容を記しています。
http://www.allmusic.com/album/big-generator-mw0000197000/user-reviews


85年ニューヨークでのライヴ。


 「キリエ」日本盤シングルのライナーには、次のようなエピソードが紹介されています。
「あるインタビュー記事の中で、リチャード・ペイジがスタジオ・ミュージシャン時代に、モトリー・クルーやヴィレッジ・ピープルなど多くのグループのためにトラ(ヴォーカルの吹き替え)をやっていたことを話したところ、それ以来彼のもとには"もっとその手の話しを"というインタビュー依頼が殺到している。」
 以前「ブロウクン・ウィングス」で紹介した、「かつてボビー・キムボールの後任としてTOTOに、ピーター・セテラの後任としてシカゴにそれぞれ誘われた」というエピソードともども、彼の巧さを感じさせる話です。


リチャード・ペイジによる「キリエ」弾き語り(2011年)。


 リチャード・ペイジは、2010年から、元ビートルズのリンゴ・スターが率いるリンゴ・スター&ヒズ・オール・スター・バンドのメンバーとしてツアーに参加しています。2013年にオーストラリアのメルボルンで行われたステージでは、元Mr.ミスターのドラマーで、キング・クリムゾンのメンバーでもあるパット・マステロットが、ビートルズ・ナンバー「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンド」の演奏に参加しています。


リンゴ・スター&ヒズ・オール・スター・バンドでの「キリエ」。



リチャード・ペイジのインタビュー(2014年)
http://www.museonmuse.jp/?p=5254




エヴリバディ・ハヴ・ファン・トゥナイト / ワン・チャン
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 イギリス出身ながら、本国よりもアメリカで人気があったワン・チャン最大のヒット曲。彼らの4枚目のアルバム『モザイク』からの1stシングルで、1986年末から翌年にかけて全米2位を記録しました。2週連続2位となりながらもトップに立てなかったのは、当時人気絶頂だったバングルスの「エジプシャン(Walk Like An Egyptian)」という強力なナンバー(4週連続1位)と同時期にあたってしまったという悲運が原因。
 バンド名通りのややオリエンタルな雰囲気も感じられる一方、彼らの魅力である「ロックよりのダンサブルなエレ・ポップ」が炸裂する好ナンバーです。サビの部分で"Everybody Have Fun Tonight"を"Everybody Wang Chung Tonight"と歌うところもおもしろい。プロデュースは、スターシップの「シスコはロック・シティ」を手がけた、オーストリア出身の方の(元J.ガイルズ・バンドのヴォーカルじゃない方の)ピーター・ウルフ。続く2枚目のシングル「レッツ・ゴー」も9位とトップテン入りを果たし、3枚目の「ヒプノタイズ・ミー」は36位まで上がりました。


ゴドレイ&クレームによるプロモーション・ヴィデオ。コマ撮りを駆使した映像は、「てんかん発作を起こす」とされ放送禁止となった模様(英語版Wikipedia)。


バック・ヴォーカルの女性の存在感がハンパないスタジオ・ライヴ



「レッツ・ゴー」 中国と日本を勘違いしてる?



「レッツ・ゴー」のスタジオ・ライヴ



 「ヒプノタイズ・ミー」ヴォーカルのジャック・ヒューズは「キャメロン・ディアスに似てる」という声があったが、むしろ幸田シャーミン。








ライオンズ・マウス / カジャグーグー
 最近、職場の同僚や同級生(大学教授)から記事への称賛をいただき、意気上がっております。

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 2枚目のアルバム『Islands』(84年)から、「ビッグ・アップル」に続く2枚目のシングルで、全英最高位25位。キャッチーなメロディーに加え、打ち込みを多用したポップな音作り♪Hey, Hey, Hey, Hey,Heyというコーラス、「Watch out! 」「I don't think so」という合いの手など、クールでちょっとファンク要素も入った印象深い曲です。そして素晴らしいのがPV。オフィシャルのPVになかなかお目にかかれないのは、政治的すぎてイギリスで放送禁止になったからという理由らしいですが、アーティスティックで素晴らしいPVです。



 
 リマールが抜けた後のカジャグーグーはあまりパッとしないイメージですが、逆に音楽性は高くなっていったように感じます。特に2ndアルバム『アイランズ』は、「ビッグ・アップル」「ライオンズ・マウス」「バック・オン・ミー」というクオリティの高い楽曲を含む大傑作アルバムでした。しかし最初のシングル「ビッグ・アップル」が全英8位で、「ライオンズ・マウス」に続く「バック・オン・ミー」が同じく47位なので、「落ち目」「一発屋」のイメージができあがってしまった観があります。



 インタビューで ニックは「カジャグーグーのアルバムで好きなものは1枚もないよ。今になって聴くのは困難を伴う作業だ。どれも良いアルバムだとは思わないんだ。」と語っていますが、『アイランズ』は傑作アルバムです。リマールをレイオフした後のゴタゴタもあったので、「僕が当時のアルバムを好きでないのは、音楽そのものよりも、当時の思い出の方が強く残っているからかも知れない。」という彼の言葉は、理解できるような気がします。

 
2008年のカジャグーグー再結成ツアーで、リマールをバック・ヴォーカルに演奏される「ライオンズ・マウス」。


 この「ライオンズ・マウス」は、チャップマン・スティック(通称「スティック」)という特異な楽器をポピュラーな存在にした曲でもあります。スティックとは8弦(または10弦、12弦)の弦楽器ですが、両手で別々の弦をタッピングすることで、ベースの低音リズムとギターのメロディを同時に出せるというユニークな楽器です。ギターやベースの場合、片手で弦を弾いて音を出しますが、スティックは両手の指を使って同時に音を出します。音を出すときはフレットに対して弦を叩きつけるので、演奏する感覚としては鍵盤楽器に近いものがあるそうです。いずれにせよ、演奏するには高い音楽的センスとテクニックを必要とするので、このような楽器を早くから扱っていたニック・ベッグスの才能恐るべしです。

 こうしたニック・ベッグスのベース・プレイはミュージシャンからも高い評価を得ており、ジョン・ポール・ジョーンズ(元レッド・ツェッペリン)やスティーヴン・ウィルソン(ポーキュパイン・トゥリー)、そして最近ではスティーヴ・ハケット(元ジェネシス~GTR)のツアーに同行しています。



80年代、エイドリアン・ブリューとともにキング・クリムゾンを支えた名手トニー・レヴィンのスティック・プレイ。ニックがスティックを手にしたきっかけは、1978年にピーター・ガブリエルのバンドでトニーがスティックを演奏する姿を見たからとのこと。


 

【ニック・ベッグスのオフィシャル・サイト】
http://nickbeggs.co.uk/

【ニック・ベッグスのインタビュー①】
チャップマン・スティックを演奏するようになったきっかけについて語っています。
https://news.yahoo.co.jp/byline/yamazakitomoyuki/20160421-00056854/

【ニック・ベッグスのインタビュー②】
カジャグーグー時代の興味深い話の数々について語っています。
https://news.yahoo.co.jp/byline/yamazakitomoyuki/20160423-00056930/





ニックのスティック・プレイ。素晴らしい!