洋楽パラダイス
私が中高校生時代に流行した洋楽の曲を振り返るブログです。80年代が中心で、大学時代に流行した曲もあります。本業は高校の世界史教師


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70~80年代の英国ロックを振り返る「英国ロックの深い森の入り口」というブログもやっています。本業は高校の世界史教師。



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キッス・オン・マイ・リスト / ダリル・ホール&ジョン・オーツ

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 ホール&オーツ9枚目のアルバム『モダン・ヴォイス』(原題は『Voices』、80年)から(本国では)3枚目のシングルで、81年4月に3週連続No.1を獲得しました。77年の「リッチ・ガール」以来2曲目の全米No.1獲得した曲で、MTVの放送開始初日に放送された曲のひとつです。https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_first_music_videos_aired_on_MTV
 高校生の頃、「キッス・オン・マイ・リスト」の「リスト」を「wrist(手首)」だと思っていた私は、この曲を熱いラヴ・ソングだと思っていましたが、your kiss is on my list ということで、one of them ということなんでしょうね。

 本国では「アフリカ」がB面ですが、日本ではライチャス・ブラザースのカヴァー「ふられた気持ち(You've Lost That Lovin' Feelin)」がB面となっています(この「ふられた気持ち」は、本国で2枚目のシングルとしてリリースされ、12位とヒットした曲です)。「キッス・オン・マイ・リスト」のコンポーザークレジットは、ダリル・ホールとジャンナ・アレン。ジャンナ・アレンは、ダリル・ホールの長年のパートナーだったサラ・アレンの妹で、この曲以降多くのヒット曲をホール&オーツと共作していますが、白血病のため93年に36歳の若さで亡くなっています。英語版Wikipediaその他によれば、元々この曲はダリル・ホールがジャンナ・アレンのために作った曲で、彼が作ったデモにバック・ヴォーカルとドラムその他をオーヴァーダブして完成したとのこと(録り直しはしていない)。ダリル・ホールは、この曲におけるローランド社製リズムボックスCR-78(コンピュリズム~イントロのカウントの音)が気に入ったようです。
https://medium.com/@LegacyRecordings/35-things-you-didn-t-know-about-aabee0c9f77f

アルバム『モダン・ヴォイス』は、彼らが初の完全セルフ・プロデュースに挑んだアルバムで(前2作はデヴィッド・フォスターのプロデュース)、年間チャートでも8位とヒットし、彼らの快進撃の始まりを告げた作品です。ジミ・ヘンドリックスが設立したことで知られる、ニューヨークのエレクトリック・レディ・スタジオでレコーディングされました。









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アライヴ・アンド・キッキング / シンプル・マインズ
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 スコットランド出身のバンド、シンプル・マインズ7枚目のアルバム『ワンス・アポン・ア・タイム』(85年)からの最初のシングルで、全米チャートでは最高位3位。この曲がヒットした85年12月から翌年1月はライネル・リッチーの『セイ・ユー、セイ・ミー』と時期が重なってしまい、2週連続3位という残念な結果。前のシングル「ドント・ユー?」が1位を獲得しただけに惜しいところでした。しかしアルバムも全米10位とヒットし、イギリスのマイナーなニュー・ウェイヴ・バンドだったシンプル・マインズは、スタジアム・バンドとしての地位を確立します。



 プロデューサーは80年代のサウンドを代表するジミー・アイオヴァインとボブ・クリアマウンテンの黄金コンビで、ダイナミックながらコーラスとピアノが印象的なサウンドに仕上がっています。プロモーション・ヴィデオは、ポーランド出身の映像作家ズビグニュー・リプチンスキー(1982年にアカデミー短編アニメ賞を受賞)が監督した作品。



 2015年には『ワンス・アポン・アタイム』のデラックス・エディションがリリースされ、アルバム未収だった「ドント・ユー?」も収録されました。 昨年結成40周年を迎え、日本でのリリースはありませんが現在も元気に活動中で、ツアーも精力的に行っています。まさにAlive And Kicking。
 公式サイト https://www.simpleminds.com/






ハングリー・ライク・ザ・ウルフ / デュラン・デュラン
 ピート・バーンズ、ジョージ・マイケル、マイコー・ジャクソンは鬼籍に入り、ボーイ・ジョージは「間もなく新作リリース」というアナウンスがあったもののその後行方不明。そうした80年代アーティストの中で、いまだ(バリバリの、とは言えないまでも)現役なのがデュラン・デュラン。2017年にも来日して、武道館公演を行いました。

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 「ハングリー・ライク・ザ・ウルフ」は彼らの5枚目のシングルで、2枚目のアルバム『リオ』(82年)からの最初のシングルです。それまでは一介のアイドルバンドと見なされてきた彼らですが、この曲で初めてアメリカン・チャートにランクインし、ビルボード全米チャートの3位となりました。



 曲のベーシック・トラックは、共に歴史的名機の誉れ高いドラムマシーンTR-808とアナログシンセのジュピター8(どちらも日本のローランド社製)を駆使して、ニック・ローズが作り上げたものです。この曲は『リオ』収録にあたってプロデューサーのコリン・サーストンのもとで再レコーディングされますが、ベーシック・トラックはオリジナルのまま。コリン・サーストンはトニー・ヴィスコンティのもとでボウイの名盤『ヒーローズ』のエンジニアを務めた人物で、80年代にはプロデューサーとしても活躍した人物(故人)。この曲におけるアンディ・テイラーのギターが、些かマーク・ボラン的(T.レックスの「ゲット・イット・オン」のギター・フレーズにそっくり)なのはそういった背景もあるかもしれません。『リオ』の翌年、ニック・ローズとコリン・サーストンの2人は連名でカジャグーグーの「君はToo Shy」をプロデュースし、大ヒットさせることになります。ちなみにイントロのの笑い声やエンディングの叫び声の主は、ニック・ローズの当時のガールフレンドdった女性のもの。

 この曲が最初にアメリカでリリースされたのは1982年の6月ですが、まったくヒットしませんでした。しかし同年12月に再リリースれされ、翌1983年の3月26日付で最高位3位となります [https://www.billboard.com/charts/hot-100/1983-03-26]。このチャートアクションに貢献したのが、MTVです。ラッセル・マルケイ(バグルス「ラジオ・スターの悲劇」やキム・カーンズ「ベティ・デイヴィスの瞳」など)が手がけたこの曲のPVがMTVでヘヴィローテーションとなり、異例の再発ヒットとなったわけです。撮影はスリランカで行われたとか。こうしたMTVを通じたヒットにより、グラミー賞でもミュージックビデオを対象とした賞「Grammy Award for Best Short Form Music Video(最優秀短編ミュージック・ビデオ賞)」が1984年に始まり、「グラビアの美少女」「ハングリー・ライク・ザ・ウルフ」の2曲によりデュラン・デュランが初代のウィナーとなりました。





セ・ラ・ヴィ / ロビー・ネヴィル
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 カリフォルニア生まれのミュージシャン、ロビー・ネヴィルのヒット曲。彼のアルバム『ロビー・ネヴィル』(1986年)からの1stシングルで、全米チャートでは87年1月に2週連続2位を記録しています(そのときの1位は、グレゴリー・エイボットの「シェイク・ユー・ダウン」と、ビリー・ヴェラの「アット・ディス・モーメント」)。ミディアム・テンポながらダンサブルなナンバーで、ゆったりとしたグルーヴ感が心地よい曲です。



2枚目のシングル「ドミノ」も14位まで上がりましたが、その後はヒットに恵まれず。1996年には、松田聖子とのデュエット曲「I'll Be There For You」(松田聖子主演のハリウッド映画『サロゲート・マザー』の主題歌)をリリースしています。
公式サイトによれば、現在の活動は他のアーティストへの楽曲提供が中心のようですが、2015年には久しぶり(2000年代になってからは初めての模様)のアルバム『Party Pop』をリリースしています。
http://www.robbienevil.com/






ビリーヴ・イン・ラヴ / ヒューイ・ルイス&ザ・ニュース
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 今年(2017年)11月に来日公演を行うヒューイ・ルイス&ザ・ニュース。彼らの最初の全米トップ10ヒットが、この「ビリーヴイ・イン・ラヴ(原題:Do You Believe in Love)」。彼らの2枚目のアルバム『ベイ・エリアの風(原題:アンティーク フランス 手描き バラ ポストカード)』(1982年)からのファースト・シングルで、同年4月17日~5月1日まで3週連続7位という記録を残しています。この曲が上に上がりきれなかったのは、同時期に元ランナウェイズのジョーン・ジェット&ザ・ブラックハーツの「アイ・ラヴ・ロックン・ロール」(7週連続1位)をはじめ、Jガイルズ・バンドやゴーゴーズ、果てはヒューマン・リーグといった英国勢まで強敵が目白押しだったいう不運な時期にあたってしまったからです。



 曲は大変素晴らしく、ヒューイのハスキーボイスと爽やかなハーモニーのコーラス、そして明るくキャッチーなメロディの組み合わせは、まさに「ベイ・エリアの風」。日本版ウィキペディアの「ヒュー・ルイス&ザ・ニュース」の項目にある説明「骨太のロックンロールを基盤に、ヒューイのハスキーボイスと爽やかなハーモニーを特徴とするキャッチーなサウンドは、まさに1980年代のアメリカのポジティブなイメージをそのまま音楽で表した存在と言っても過言ではない。」という一文は、おそらくこの曲をイメージした記述でしょう。
 当時アルバム『ベイ・エリアの風』の日本盤は米盤と異なるジャケットで、鈴木英人氏(雑誌『FM STATION』の表紙を手がけていたイラストレーター)によるヒューイ・ルイスの顔のイラストが使われており、このシングル盤にもアルバムと同じイラストが使用されています。『FM STATION』付録のカセットレーベルを使っていた世代にとっては、当時「これ以上ない」ほどの絶妙の組み合わせでした。
 
 この曲のコンポーザー・クレジットは、当時売れっ子プロデューサーだったロバート・ラング(Robert John "Mutt" Lange)です。彼はAC/DCの『バック・イン・ブラック』やフォリナーの『4』、カーズの『ハートビート・シティ』、デフ・レパードの一連のアルバムなどを手がけたプロデューサーですが、ヒューイ・ルイス同様に下積みが長く、70年代から活動しており、ヒューイ・ルイス&ザ・ニュースの前身バンド、クローヴァー(Clover)の作品のうち2枚(76年の『Unavailable』と77年の『Love On The Wire』)は、ロバート・ラングが手がけています。この「ビリーヴ・イン・ラヴ」が7位だった5月1日に10位だったのが、トミー・ツートーンの「867-5309/jenny」(最高位全米4位)ですが、この曲のコンポーザーであるアレックス・コール(Alex Call)もクローヴァーのメンバーでした。その関係でアレックスは、ヒューイ・ルイス&ニュースにシングル「パーフェクト・ワールド」(88年)を提供しています。その他TOTOのジェフ・ポーカロもクローヴァーのメンバーでした。クローヴァーは、70年代後半にシン・リジィのヨーロッパ・ツアーの前座をつとめたことがり、シン・リジーの故フィル・ライノットには多くの教えを受けたようです。『ベイ・エリアの風』に収録されている「5時半からのデート(Giving It All Up for Love)」は、フィル・ライノットの曲。

 もともとこの「ビリーヴ・イン・ラヴ」は、「We Both Believe In Love」というタイトルで、ロバート・ラングがイギリスのバンド、スーパーチャージ(Supercharge)のために書いた曲です。オリジナルはスパーチャージのアルバム『Body Rhythm』(79年)に収録されており、ロバート自身がヴォーカルを担当しています



 1950年生まれのヒューイ・ルイスは今年67歳!父親はアイルランド系で母親はポーランド出身。 そういった出自を想うと、彼の音に感じられる優しさと哀愁、そしてすべてを明るくぶっ飛ばすような感じが混じり合ったような雰囲気もなんとなく理解できるような気がします。これからも元気で活躍して欲しいものです。

http://www.hueylewisandthenews.com/