洋楽パラダイス
私が中高校生時代に流行した洋楽の曲を振り返るブログです。80年代が中心で、大学時代に流行した曲もあります。本業は高校の世界史教師


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70~80年代の英国ロックを振り返る「英国ロックの深い森の入り口」というブログもやっています。本業は高校の世界史教師。



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ライフ・イン・トウキョウ / JAPAN
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 アイドルだったころのJAPANの転機となったナンバー。いきなり武道館公演という79年の来日時での体験にもとづくナンバーだと言われています。日本以外ではまったく売れなかった彼らを何とかブレイクさせようと、同じ時期にヒットしたブロンディの「コール・ミー」などを手がけていたジョルジョ・モロダーを起用したナンバー。退廃的エレ・ポップともいえる曲です(オリジナル・アルバムには未収録)。以後「クワイエット・ライフ」「ヨーロピアン・サン」といった名曲を次々とリリースしていきます。

 この曲はJAPANの評価が高まると何度も再発が繰り返され、そのためヴァージョン違いが多いことで有名です。私も以前検証したことがありますが[http://www005.upp.so-net.ne.jp/zep/go/japan/japan.html]、10ヴァージョン以上あるのは確かでしょう。



 この曲以前のJAPANはそのヴィジュアル面のイメージが先行しており、その音楽性が語られることはほとんどりませんでした(実際『果てしなき反攻』『苦悩の旋律』といった作品に特筆すべき点はあまり見あたりません)。その昔、地元商工会主催で小学校の体育館で開かれた「フィルムコンサート」(どんなイベントかわかります?)では、流れているJAPANのプロモフィルムの写真を撮っている女性がいました(このときの「司会」は、熊本が誇るDJ江越哲也氏)。確かに、クイーンやKISS、エアロスミスといった「三大バンド」やチープ・トリックのファンを公言する男性はいても、JAPANのファンを名乗る男性はいなかったように思います。しかし、その後の音楽的な成長は周知の通り。このシングルの日本盤ライナー(筆者は山田道成氏)には「JAPANのこれからの最大のポイントは、いかに現状のアイドルの位置から、真の意味での英雄へと飛躍するかだ。」とあります。英雄はともかく、アーティストとなったのは確かでしょう。









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ゴーイング・ウンダーグラウンド / ザ・ジャム
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ポール・ウェラーを中心とするザ・ジャムの79年のヒット曲で、初登場全英No.1。ベースとギターが絡むイントロからカッコいい曲で、スタイリッシュなバンドらしいスマートさとドライヴ感を兼ね備えた名曲です。この曲で彼らはイギリスを代表するバンドになったと言えるでしょう。
 ザ・ジャムは、ポール・ウェラーが高校に通っていた先輩のブルース・フォクストン(b,vo)、リック・バックラー(ds,vo)とともに結成したバンド(バンド活動スタート当初はもうひとりメンバーがいた)。パンク全盛の77年にデビューするものの、スーツで決めたスタイリッシュな雰囲気はパンクとは一線を画し、「モッズ」リバイバルというムーヴメントをもたらします。この「ゴーイング・アンダーグラウンド」以降も「悪意という名の街」「ビート・サレンダー」等のヒットを飛ばし、イギリスでは絶大な人気を誇りました。特に「悪意という名の街」は、シュープリームスの「恋はあせらず」に代表される伝統的なモータウン風リズムをとりいれたナンバーで、のちのスタイル・カウンシルの音楽性を考える上で興味深いナンバーです。
 しかしアメリカを初めとする本国以外では商業的に苦戦し、日本でも来日コンサートが行われその模様はNHKのFMラジオで放送されたものの、ブレイクすることはありませんでした。人気絶頂の82年に解散。
ポール・ウェラーのオフィシャル・サイト[http://www.paulweller.com/noflash.html]













ステッピン・アウト / ジョー・ジャクソン
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 「偏屈才人」ジョー・ジャクソン、82年のヒット曲で全米第6位まで上昇しました。ニューヨークに移り住んだ(現在はイギリスに戻っています)彼が82年にリリースしたアルバム『ナイト・アンド・デイ』(82年)からのカットで、彼の最大のヒット曲です。シンプルなベース・ラインをバックに、夜の街を疾走するかのようなドライヴ感あふれるピアノが魅力的なナンバー。夜のドライブに最適な曲ですね。B面のしっとりとしたバラード「危険な関係」(原題は「Breaking Us In Two」)も翌年に18位まで上昇しています。
 ジョー・ジャクソンに関しては、ウィキペディアの記事が詳しいです。

 オフィシャル・サイト [http://www.joejackson.com/]
 関連サイト [http://www.jj-archive.net/]









レッツ・ゲット・シーリアス / ジャーメイン・ジャクソン
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 マイケル・ジャクソンのお兄さん、ジャーメイン・ジャクソン(JERMAINE JACKSON)のソロ・ヒットで、80年に9位まで上がりました。80年にモータウンからリリースされたアルバム『Let's Get Serious』のオープニングを飾る、ダンサブルで、ギターもソリッドな感じがするファンクなナンバー。コンポーザーはスティーヴィー・ワンダー(S.Wonder & L.Gorrentのクレジット)で、スティーヴィー・ワンダーはこの曲のプロデュースとアレンジも行っています。
 ジャーメイン・ジャクソンもジャクソン5のメンバーでしたが、ジャクソン5がモータウンからエピックに移籍した際、彼はモータウンに残りジャクソン・ファミリーから離れることになります。しかし84年にはジャクソンズの一員として『ヴィクトリー』に参加、同時期にソロ・アルバム『ダイナマイト』がリリースされています。89年に『ドント・テイク・イット・パーソナル』をリリースして以後、目立った活動をしていないようです。弟マイケルや妹ジャネットの影に隠れがちではありますが、もっと活躍してもよいシンガーではないでしょうか?









ドント・ストップ・ビリーヴィン / ジャーニー
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 ジャ-ニー初の全米No.1となったアルバム『エスケイプ』(81年)から、「クライング・ナウ」に続く第2弾シングル。全米で9位まで上昇しました。ヴォーカルのニール・ショーン、ギターのスティーヴ・ペリー、そしてキーボードのジョナサン・ケインのメンバー3人による作品で、彼ららしいライト&ポップなナンバーです。ジョナサン・ケインは、『エスケイプ』から参加した新メンバー(元ベイビーズ~ジョン・ウェイトが在籍していたバンド)ですが、以後「セパレイト・ウェイズ」など、スティーヴ・ペリーとのコンビは数々のヒットを飛ばし、ジャーニー・サウンドには欠かせない人物となります。「産業ロック」と揶揄されることも多い彼らですが、それはそれでいいと私は思うのですが。









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