洋楽パラダイス
私が中高校生時代に流行した洋楽の曲を振り返るブログです。80年代が中心で、大学時代に流行した曲もあります。本業は高校の世界史教師


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70~80年代の英国ロックを振り返る「英国ロックの深い森の入り口」というブログもやっています。本業は高校の世界史教師。



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オンリー・ザ・ロンリー / モーテルズ
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 紅一点のヴォーカル、マーサ・ディヴィスを中心としたモーテルズの3rdアルバム『L.A.から来た女(原題:All Four One)』(1982年)からの最初のシングル。ティル・チューズデイの「愛のVoices(Voices Carry)」(85年)・クォーターフラッシュの「ミスティ・ハート(Harden My Hear)」(81年)と並ぶ「(私が選んだ)80年代紅一点バンドの切ない系3大名曲」のひとつで、全米で9位まで上がった曲です。



 この9位という最高位はなかなか微妙で、「4週連続」という但し書きが必要です。この曲が9位になったのは、82年7月17日。翌週には、スティーヴ・ミラー・バンドの「アブラカダブタ」(11位→6位・最高位1位)、翌々週にはシカゴの「素直になれなくて(Hard To Say I'm Sorry)」(11位→6位・最高位1位)、8月に入っても、8月7日付ではREOスピートワゴンの「キープ・ザ・ファイアー・バーニン」(10位→8位)、エア・サプライの「さよならロンリー・ラブ(Even The Nights Are Better)」といった後発の曲に次々と抜かれていき、そしてついに8月14日付では11位にランクダウンしてしまいます。同時期の上位には、サバイバーの「アイ・オブ・ザ・タイガー」(6週連続1位)、ヒューマン・リーグ「愛の残り火」(3週連続1位)、ポール・マッカートニー&スティーヴィー・ワンダー「エボニー・アンド・アイボリー」(7週連続1位)といった強力なナンバーが目白押しで、その意味でも不運なチャートアクションでした。TOTOの名曲「ロザーナ」も、この時期に重なってしまった不運な曲です。「ロザーナ」は翌年の83年にグラミー賞最優秀レコード賞を受賞しましたが、7月3日付から5週連続2位をキープしたものの結局1位となれませんでした。



 この曲にかわって前週の12位から9位に上昇したのは、Go-Go'sの「バケーション(Vacation)」。モーテルズとGo-Go'sはともにロサンゼルスを拠点にしていたことからメジャーデビュー前から親交があり、英語版WIkipediaによれば両バンドはリハーサル用のスペースをシェアしていたそうです。

 『L.A.から来た女』からの2枚目のシングル「Take The L.」は、最高位52位でした。「Take the L out of lover and it's over」という歌詞はなかなかユニーク。


  モーテルズは1987年に解散し、マーサ・デイヴィスはソロになりました。98年に再結成し、2011年にはお蔵入りとなっていた『Apocalypso』(81年に3rdアルバムとしてリリース予定だった作品)がリリースされました。現在もコンスタントに活動しています。


2015年のステージ



2016年のステージ






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キリエ / Mr.ミスター
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 Mr.ミスターの2ndアルバム『ウェルカム・トゥ・ア・リアル・ワールド』(85年)から、全米No.1となった「ブロウクン・ウィングス」に続く2枚目のシングル。この曲も86年3月に2週連続で1位を記録し、年間チャートでも9位にランクされています。前作「ブロウクン・ウィングス」が暗めの曲だったのに対し、明るいロック調のナンバーで、リチャード・ペイジのハイ・トーンのヴォーカルが冴える曲です。歌詞に出てくる「キリエ・エレイソン(Kyrie eleison)」とは、ギリシア語で「主よ、憐れみたまえ」の意味で、キリスト教会の典礼で用いられる重要な文言のひとつ。4分25秒のアルバム・ヴァージョンはフェード・アウトで終わりますが、4分18秒のシングル・エディットは、"Kýrie, eléison, down the road that I must travel"という歌詞が演奏なしで歌われて終わります。



 プロデューサーのポール・デヴィリアーズ(Paul De Villiers)は、イエスの『ビッグ・ジェネレーター』の制作途中でトレヴァー・ホーンが降板した後、プロデュースを引き継いだ人物。『ウェルカム・トゥ・ア・リアル・ワールド』全体を包む80年代エレクトロニクスの感覚は、彼の手によるものでしょう。AllMusicの『ビッグ・ジェネレーター』の項目では、デヴィリアーズ自身が興味深い内容を記しています。
http://www.allmusic.com/album/big-generator-mw0000197000/user-reviews


85年ニューヨークでのライヴ。


 「キリエ」日本盤シングルのライナーには、次のようなエピソードが紹介されています。
「あるインタビュー記事の中で、リチャード・ペイジがスタジオ・ミュージシャン時代に、モトリー・クルーやヴィレッジ・ピープルなど多くのグループのためにトラ(ヴォーカルの吹き替え)をやっていたことを話したところ、それ以来彼のもとには"もっとその手の話しを"というインタビュー依頼が殺到している。」
 以前「ブロウクン・ウィングス」で紹介した、「かつてボビー・キムボールの後任としてTOTOに、ピーター・セテラの後任としてシカゴにそれぞれ誘われた」というエピソードともども、彼の巧さを感じさせる話です。


リチャード・ペイジによる「キリエ」弾き語り(2011年)。


 リチャード・ペイジは、2010年から、元ビートルズのリンゴ・スターが率いるリンゴ・スター&ヒズ・オール・スター・バンドのメンバーとしてツアーに参加しています。2013年にオーストラリアのメルボルンで行われたステージでは、元Mr.ミスターのドラマーで、キング・クリムゾンのメンバーでもあるパット・マステロットが、ビートルズ・ナンバー「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンド」の演奏に参加しています。


リンゴ・スター&ヒズ・オール・スター・バンドでの「キリエ」。



リチャード・ペイジのインタビュー(2014年)
http://www.museonmuse.jp/?p=5254




ジョージ・マイケルよ、安らかに
 2016年は年明け早々のボウイの訃報に始まり、モーリス・ホワイト、プリンス、ピート・バーンズ、レナード・コーエン、ELPのEとP、ジョージ・マーティン....そしてクリスマスにジョージ・マイケルの訃報。まったく驚くしかない。しかもジョージ・マイケルに至っては、私とほとんど変わらない年齢である。自分自身の年齢をイヤでも実感してしまう。

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 ワム!の「クラブ・トロピカーナ」を聴いたとき、なんて素敵でキャッチーなメロディなんだろうと(内心)舌を巻いた。当時は男性でワム!が好きだと口にしようものなら、かなりバカにされたものである。デュラン・デュランはOKでも、ワム!はダメ....みたいな。スタイル・カウンシルやトンプソン・ツインズらと同様、マクセルのカセットテープのCMにも登場し(後にジョージが日本人をバカにした歌詞に変えて歌っていたことが明らかとなる)、結構人気だった。中にはリフラフという日本人男性4人組バンドが「ウキウキ ウェイク・ミー・アップ」をまんまパクった「東京涙倶楽部」というとんでもない曲もあったほど。



 いくつかトラブルもあったものの、高い歌唱力と優れたソングライターであったことは間違いない。私の好きな彼の曲のベスト3は、
  1位:フェイス(ジョージ・マイケル)
  2位:クラブ・トロピカーナ(ワム!)
  3位:フリーダム(ワム!)
  3位:ケアレス・ウィスパー(ワム!)

ジョージ・マイケル、安らかに。





ダウン・アンダー / メン・アット・ワーク
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 オーストラリア出身の5人組メン・アット・ワークの、「ノックは夜中に」(Who Can It Be Now?)に続く全米No.1ヒットで、1983年の年間チャートでも4位となる大ヒット曲です。




「ダウンアンダー」はイギリスからみて南方に当たるオーストラリアを意味する言葉で、この曲がヒットして以降、一般にも知られるようになりました。
  "He just smiled and gave me a Vegemite sandwich",
という歌詞がありますが、歌詞に出てくる「ベジマイト(Vegemite)」とは、オーストラリアやニュージーランドでパンに塗って食べる黒くて塩辛いペースト状の食物です。高校の英語の教科書に出てくるので、英語の先生が「コレですよ」って見せてくれたんですが、日本人の口にはちょっと合わないと思います。

 1985年には活動を停止しましたが、96年に復活し、2000年のシドニーオリンピックの開会式では彼らによりこの「ダウンアンダー」が歌われ、会場は大いに盛り上がりました。



シドニーオリンピックの開会式


 オージー・ロックを代表するこの「ダウン・アンダー」ですが、2008年に盗作疑惑が持ち上がってしまいました。印象的なフルートのリフが、 1932 年にMarion Sinclair という人物が作った「Kookaburra Sits in the Old Gum Tree」からの盗用であると、この曲を管理していた会社から訴訟を起こされてしまいます。この曲は、子どもたちがキャンプファイヤーのときに歌う曲の定番で、オーストラリアではメジャーな曲だそうです。結局、2010年には裁判で盗用が認められ、印税の一部返還を命じられてしまいました。



Kookaburra Sits In The Old Gum Tree


 それでも2012年のロンドンオリンピックに際してはスポンサーとなったオーストラリアの通信事業者テルストラがこの曲をキャンペーンソングに採用するなど、名曲であることに変わりはありません。


テルストラ(Telstra Corporation)のCM


 「ノックは夜中に」と、この「ダウン・アンダー」の7インチ盤につけられたライナーに共通するのは、どちらもラジオ放送の洋楽番組のDJさんがライターという点。「ノックは夜中に」のライターは、「Miss D.J.リクエスト・パレード」(文化放送)の千倉真理さん。こちらの「ダウン・アンダー」のライターは、「オールジャパン・ポップス20」のシーゲル梶原さん。「Miss D.J.」は聴いた記憶はないんですが、雑誌『ミュージック・ライフ』のクイーンの広告で番組の紹介を見た記憶があります。「オールジャパン・ポップス20」の方は、「全国ポピュラーベストテン」と名前が変更になり、私の地元RKK熊本放送では日曜の深夜というとんでもない時間帯に放送されていました。前日、土曜の深夜はRFラジオ日本で湯川れい子さんの「全米トップ40」~大貫憲章さんの「全英トップ20」を朝4時くらいまで聴いていた身としてはとてもとても、聴ける時間帯ではありませんでした(時々聴いていましたが)。80年代の洋楽ブームは、ラジオが支えていたのだなぁ、と改めて実感。

 ロンドン五輪を間近に控えた2012年4月、サックスとフルートを担当していたグレッグ・ハムがメルボルンの自宅で死んでいるのが発見されるという悲劇を迎えます。「ノックは夜中に」のサックスと「ダウン・アンダー」のフルートはいずれも曲の要。彼がいなかったらメン・アット・ワークの成功はなかったでしょう。






ブロウクン・ウィングス / Mr.ミスター

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 Mr.ミスター2枚目のアルバム『ウェルカム・トゥ・ザ・リアル・ワールド』(85年)からの1stシングルで、2週にわたり全米No.1となりました(ちなみにこの曲に取って代わったのは、ライオネル・リッチーの「セイ・ユー、セイ・ミー」)。次のシングル「キリエ」と違って、ベースラインに導かれて始まる、暗く叙情的なメロディーラインが魅力の曲。ハイトーンながら哀愁を帯びたヴォーカルもいいですし、シンセの使い方も実に巧いです。後半のギターもいい感じです。
 この曲の歌詞は、レバノン生まれのアラブ系詩人/アーティストカーリル・ギブランの本『Broken Wings』にインスパイアされたとのこと。その後、この曲はヒップホップラッパー、2Pacの「Until the End of Time」でサンプリングされました。リリース当時の邦題は、「ブロークン・ウィングス」ではなく、「ブロウクン・ウィングス」です。

 Mr.ミスターの母体となったのは、ヴォーカル&ベースのリチャード・ペイジと、キーボードのスティーヴ・ジョージがつくっていたペイジズ(Pages)というバンド。この2人がドラムのパット・マステロットとギターのスティーヴ・ファリスを迎え、1983年にアルバム『アイ・ウェア・ザ・フェイス(I Wear the Face)』でデビューしたのがMr.ミスター(Mr.Mister)です。なおこの「ブロウクン・ウィングズ」のコンポーザーとして、リチャード、スティーヴとともにクレジットされているジョン・ラングも、ペイジズの元メンバーです。

 リチャード・ペイジはヴォーカリストとして、デヴィッド・フォスターやリック・スプリングフィールドといったポップ系から、ホワイトスネイク、サミー・ヘイガーといったHR/HM系に至るまで数多くのアーティストの作品に参加しており(AllMusicの一覧表を参照)、かつてはボビー・キムボールの後任としてTOTOに、ピーター・セテラの後任としてシカゴにそれぞれ誘われたという逸話の持ち主。リック・スプリングフィールドはアルバム『ザ・デイ・アフター・イエスタデイ』でこの曲をカヴァーしていますが、リチャード・ペイジ自身もこのカヴァーに参加しています。日本盤『ウェルカム・トゥ・ザ・リアル・ワールド』のライナーによれば、日本でも喜太郎が音楽を手がけたラーメンのCMで、リチャード・ペイジの歌が使われたことがあるとのこと。

 この曲が収められたアルバム『ウェルカム・トゥ・ザ・リアル・ワールド』からカットされた3枚のシングルのうち、2曲がNo.1、残る1曲「イズ・イット・ラヴ」も8位まで上がりました。「ウィー・アー・ザ・ワールド」がなかったら、グラミー賞を受賞していたでことしょう。
 
 Mr.ミスターは87年に3枚目のアルバム『Go On...』をリリースしましたが、シングル「サムシング・リアル」は29位までしか上がらず、以後カットされたシングルは、100以内にもはいらなかったようです。その後ギタリストのスティーヴ・ファリスが脱退、一時的に元イエスのトレヴァー・ラヴィンが在籍した時期もありましたが(これは『ウェルカム・トゥ・ザ。リアル・ワールド』のプロデューサー、ポール・デヴィリアーズが、イエスの『90125』ツアーでミキシング・エンジニアだったという人脈によるもの)、グループはセッション・ギタリストを迎えて4枚目のアルバムのレコーディングに着手します。しかしこのアルバムは結局日の目を見ることなく、Mr.ミスターは解散。お蔵入りとなった作品のうち「Waiting in My Dreams」という曲が、2001年にリリースされたベスト盤に収録されています。

 バンドの解散後、メンバーはソロ活動にはいりますが(Wikipediaの記事を参照してください)、中でも興味深いのがドラマーのパット・マステロットの活動。彼については、別の機会に検証したいと思います。









リック・スプリングフィールドの「ブロウクン・ウィングス」




2pac ft Mr. Mister - Broken Wings (Until the end of time)








テーマ:音楽 - ジャンル:音楽




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