洋楽パラダイス
私が中高校生時代に流行した洋楽の曲を振り返るブログです。80年代が中心で、大学時代に流行した曲もあります。本業は高校の世界史教師


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70~80年代の英国ロックを振り返る「英国ロックの深い森の入り口」というブログもやっています。本業は高校の世界史教師。



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ターザン・ボーイ / バルティモラ
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 イタロ・ディスコ・バンド、バルティモラによるヒット曲で、1986年に全米で13位まであがった曲です。♪オオオオオオオオオオオオ~というイントロのヴォーカルが馴染みやすく、現在でも懐かしく感じる人も多いのではないでしょうか。まさに愛すべき一発屋。日本のウィキペディアの記述がよくまとまっているので、詳細はそちらをどうぞ。日本盤7インチ・シングルに解説の類は一切なく、印刷されてあるのはオリジナルの歌詞と日本語訳だけです。

ウィキペディアの「バルティモラ」の記事



オフィシャル・ヴィデオ


 ヴィジュアル面を考えてフロントマンは口パクにしただけあり、Youtubeにはけっこうな数の動画がアップされていますが、いくつか面白いものがありました。ジミー・マクシェインはダンスがうまい。



笑えるスタジオ・ライヴ。シマウマやトラ、ライオンなどの着ぐるみがバックで大騒ぎ。「シマウマもライオンも、ジャングルじゃねーだろっ!」ってツッコミを入れたくなります。



1985年にドイツの番組Peter' Popshowに出演したときの映像。




上と同じ動画で別ヴォーカル。「Maybe this is actually Jimmy McShane singing himself?? 」というコメントもついてますが、誰かがカラオケヴァージョン使ってヴォーカルを差し替えただけの模様。



スタジオ・ライヴ




ライヴ映像。ここまで口パクやるか、って感じです。








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チワワは素敵な愛言葉 / バウ・ワウ・ワウ


 数年前、私が勤務する高校の創作ダンス発表会でバウ・ワウ・ワウの「アイ・ウォント・キャンディ」を使っていたグループがあって驚きました。保護者の方が聴いていたのか、それともソフィア・コッポラ監督の『マリー・アントワネット』のサントラ盤で知ったのでしょうか。

 デビュー当時はキワモノ的な扱いが強く、話題性が先行していたようなバウ・ワウ・ワウですが、実に高い音楽性を持っていました。曲もいいし、アナベラのヴォーカルもクリアー・ヴォイス、それにメンバーがかなりのテクニシャン揃い。「アイ・ウォント・キャンディ」のイントロのギターとか、今聴いても引き込まれます。この「チワワは素敵な愛言葉」も、ベースとドラムが凄い。


意味不明のメンバー紹介






 2011年にはサマー・ソニックで来日してますが、昨年(2015年)から、なんとミッシング・パーゾンズとともにダブルヘッドライナーでアメリカ・ツアーを行っている模様!ところがアナベラ嬢の公式サイトを見ると、バウ・ワウ・ワウのほうはどうやら別のヴォーカリストを入れて現在活動してるようで、彼女は相当お怒りのご様子。http://www.annabellalwin.com/ 確かに「Missing Persons Bow Wow Wow」でググっみると、デイル・ボジオ嬢の写真は上がっててもアナベラ嬢の写真は出ておりませんね。アナベラ嬢のフェイスブック(https://www.facebook.com/Annabella.Lwin.official)によれば、現在活動してるバウ・ワウ・ワウに在籍しているオリジナル・メンバーは、ベースのLeigh Gorman(このシングルのメンバー紹介では「ルロイ・ゴーマン」の表記)一人だけの模様。ギターのマシュー・アッシュマンは95年に35歳の若さで糖尿病が原因で亡くなっています。なお、ボジオ夫妻は離婚しており、凄腕名手テリー・ボジオはすでにミッシング・パーソンズのメンバーではなくなっているようです。

 バウ・ワウ・ワウの現在のシンガーは、2013年に加入したクロエ・デメトリア(Chloe Demetria)というアメリカのミネソタ出身の女性。

クロエ版バウ・ワウ・ワウ(2013年)






ザ・ウェイ・イット・イズ / ブルース・ホーンズビー&ザ・レインジ
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 1986年12月13日付けで全米No.1。叙情的なピアノと哀愁あふれる歌声、そして誰もが口ずさめる覚えやすいメロディーをもった曲です。エレクトリックな隠し味も、よい感じです。でも特筆すべきは歌詞の内容。「列に並んで足踏みしながら失業保険をもらうのを待っている」「奴らは64年に低所得者のための法を成立させた/だけどそれも今は形だけ/法が人々の考え方を変えることはできなかった/」~と、80年代のアメリカをおおっていた不況、そして変わらない差別をテーマにしています。この曲のヒットにより翌年のグラミー賞では最優秀新人賞を受賞しました(このときのライバルは、ミック・ハックネル率いるシンプリー・レッド)。

 ヒューイ・ルイスのNo.1ヒット、「ジェイコブズ・ラダー」の作者でもあるブルース・ホーンズビーは、実に才能あふれるなアーティストです。ボニー・レイットやドン・ヘンリー、ボブ・ディランをはじめとする様々なアーティストのアルバムにプレイヤーとして参加する一方、レオン・ラッセルのアルバムをプロデュースし、一時はグレイトフル・デッドのメンバーだったこともあります。グラミー賞では、1990年に最優秀ブルーグラスレコーディング賞、そして1993年に最優秀ポップ・インストルメンタル賞を受賞しています。日本にも熱心なファンがいるようで、Wikipediaの記述はたいへん読みごたえがあります。














インナ・ビッグ・カントリー / ビッグ・カントリー
ビッグカントリー


 83年の暮れに全米・全英でともに17位まで上がった曲。メロディアスながらも力強く、シンセとギターでバグパイプの音色を出すなど、ケルティックな雰囲気も感じられる曲です。プロデュースは当時売れっ子プロデューサーだったスティーヴ・リリーホワイト。日本では柳ジョージがカヴァー曲を発表しています。歌が始まる前の「ハッ!」という掛け声をはじめ、途中に入る掛け声がダイナミックで好きでした。

 ビッグ・カントリーにとってこの曲が3枚目のシングルです。売れなかったデビュー・シングル「ハーヴェスト・ホーム」は、これまた当時売れっ子プロデューサーだったクリス・トーマスのプロデュース。当初はアルバムもクリス・トーマスがプロデュースの予定でしたが、急遽スティーヴ・リリーホワイトに変更されました。

 日本では「一発屋」というイメージの彼らですが、実は黄金時代はこの曲の後からで、84年に発表した2枚目のアルバム『スティールタウン~ビッグ・カントリーⅡ(Steeltown)』(プロデュースはスティーヴ・リリーホワイト)は全英アルバムチャートで初の第1位となりました。さらにまたまた売れっ子プロデューサのロビン・ミラー(シャーデー、エヴリシング・バット・ザ・ガール、ブルーベルズ、スタイル・カウンシル、「ワンダフル・ライフ」のブラックなど)を起用した3枚目のアルバム『ザ・シーア(The Seer』(86年)にはケイド・ブッシュがゲストで参加し(タイトル曲でステュワート・アダムソンとデュエット)、シングルカット曲「ルック・アウェイ」は全英7位(アイルランドでは1位)という彼らの最大のヒット曲となる、という人気バンドとなります(全英アルバム・チャートでは2位)。しかしマーキュリーからリプリーズに移籍して発表した4枚目『ピース・イン・アワー・タイム(Peace In Our Time)』には、スターシップやニック・カーショウ、ゴー・ウェストなどを手がけたウルフ&フルフをプロデューサーに迎え、再度アメリカ市場を狙いますが、不発に終わってしましいました。以後90年代にはいると人気も低落していき、99年の『ドライビング・トゥ・ダマスカス(Driving to Damascus)』を最後にバンドは解散しました。

 2001年12月16日、元リーダーのスチュワート・アダムソンがハワイのホテルで自殺してしまいます。2007年には彼の意志を継ぐ形で、アダムソン以外のオリジナル・メンバー3人によりビッグ・カントリーは再結成されました。
 公式サイト  http://www.bigcountry.co.uk/home.php

 スチュワート・アダムソンは、ビッグ・カントリー結成前にザ・スキッズ(The Skids)というバンドに参加していましたが、2006年にU2がグリーン・デイとともに発表したシングル「セインツ・アー・カミング」は、このスキッズの曲のカヴァーです。





 YouTubeのオフィシャル・ビデオ [http://www.youtube.com/watch?v=j21ULe2hrY4]







パ-フェクト・ビート / ブロンスキ・ビート
hitthatperfectbeat.jpg


 85年に全英で3位まで上がったヒット曲で、原題は「HIT THAT PERFECT BEAT」。テクノ・ビートに乗った、ノリの良いハイエナジーなダンス・チューンで、大方の予想を裏切り(?)、ジミー・ソマーヴィル脱退によるバンドの危機を吹き飛ばすヒットとなりました。まさに「歌って踊れる」曲でしょう。なお、この曲のPVには2つのヴァージョンがあります。

 ブロンスキ・ビートというバンド名はメンバーの一人スティーヴ・ブロンスキの名前と、ドイツの作家ギュンター・グラスが1959年に発表した長篇小説『ブリキの太鼓(Die Blechtrommel)』に登場する人物ヤン・ブロンスキをかけたもの(スティーヴ・ブロンスキがバンドのリーダーだったということではない)。トレードマークの「ドラムを叩く人形」のイラストは、「ブリキの太鼓」の英語タイトル「he Tin Drum」からかもしれません。

 84年にデビューしたブロンスキ・ビートは、「スモール・タウン・ボーイ」(全英3位)「ホワイ?」(同6位)、「イット・エイン・ネササリー・ソー」(同16位)、「アイ・フォール・ラヴ」(同3位)と出すシングルすべてヒットし、一躍スターダムに上り詰めます。しかしビッグ・スターとしての状況に耐えられなくなったフロント・マンのヴォーカリスト、ジミー・ソマーヴィルは85年に失踪してしまいました。結局ジミーはブロンスキ・ビートに戻ることはなく、バンドは大きな危機に直面することになります。
 
 「ブロンスキ・ビート=ジミー・ソマーヴィル」と言っても過言ではなかったほどジミーの存在はバンドにとって大きく、当然ながら「これでブロンスキ・ビートも終わりだな」というのが大方の予想でした。残されたスティーヴ・ブロンスキとラリー・スタインバチェックの二人がジミーに替わって迎えたヴォーカリストがジョン・ジョンことジョン・フォスター。アルバム『トゥルースデア・ダブルデア』からは第2弾シングル「カモン、カモン」も20位まで上がりましたが、ジョンは翌87年にブロンスキ・ビートを去ってしましました。

 ジョン脱退後もバンドは存続し、ストロベリー・スウィッチブレイドのローズを迎えてレコーディングを行ったり、87年には国際エイズデーのライヴで、ジミー・ソマーヴィルが参加して一度きりの再結成をしています。

 その後はゲスト・ヴォーカリストを迎えて細々と活動していたようですが、94年にはジョン・フォスターが復帰し、ドイツのZYXから「スモールタウン・ボーイ'94」(リミックスやアコースティックなど5ヴァージョンを含む)をリリースしました。が、すぐにまた脱退、89年にブロンスキ・ビートのメンバーだったJonathan Hellyerを再度迎え、『Rainbow Nation』を同じくZYXからリリースしています。
 現在スティーヴはプロデューサーやミキサー、ラリーは舞台監督として活躍しています。

「スモールタウン・ボーイ'94」の各ヴァージョンは、ZXYのサイトで試聴できます。  http://www.zyx.de/
「ARTIST」の「B」から「BRONSKI BEAT」を選ぶと、「Smalltown Boy `94」が出てくるので、「Tracklisting」をクリックしてリストを開いてください。曲名横の「PLAY」をクリックすると、Real Palyerで再生されます。


 『英国ロックの深い森 1976ー1990』(ミュージック・マガジン)で、ブロンスキ・ビートが取り上げられていないのはおかしいと思ったのは私だけではないはず。悪い本ではなんですがね。内容が不正確・校正が甘い・取るに足らないアーティストが載ってるのに、取り上げられてしかるべきアーティストは乗っていない(自分の趣味でつくっている?)という点は否めません。