洋楽パラダイス
私が中高校生時代に流行した洋楽の曲を振り返るブログです。80年代が中心で、大学時代に流行した曲もあります。本業は高校の世界史教師


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70~80年代の英国ロックを振り返る「英国ロックの深い森の入り口」というブログもやっています。本業は高校の世界史教師。



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愛のかげり / ボニー・タイラー
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 そのハスキー・ヴォイスから「女ロッド・スチュワート」の異名をとったボニー・タイラーの全米・全英ともに首位を獲得した大ヒット曲(1983年)。ビルボードの年間チャートでも6位となった大ヒット曲です。原題は「Total Eclipse of the Heart」で、直訳すれば「心の皆既日食」。愛する人を失った悲しみをメロディアスかつダイナミックに歌い上げた名曲といえます。

 ボニー・タイラーは79年にヤマハ音楽祭に出場して「悲しみのオーシャン」でグランプリを獲得し、日本でも人気を得ましたが、その後人気は低迷します。日本での人気をバネに再起をはかろうと81年に「サヨナラTokyo」(作曲は中村裕介~クレジットは中村きんたろう)という曲をリリースしますがこれも不発。83年にそれまでのRCAからCBSに移籍して、ジム・スタインマンをプロデューサーに迎えてアルバム『スピード・オヴ・ナイト』(Faster Than the Speed of Night)を制作、このアルバムから最初のシングル・カットとなったこの曲で、見事シーンに返り咲きました。





  アーティスティックなPVはMTV時代を代表するクリエーター、ラッセル・マルケイ(バグルス「ラジオ・スターの悲劇」やデュラン・デュランの一連のPV、キム・カーンズ「ベティ・デイヴィスの瞳」など)の作品です。
 作詞・作曲はともにジム・スタインマンで、ギターは名手リック・デリンジャー(あまり目立ちませんが)。この曲で印象的なのが、'Turn around' ~'Turnaround bright eyes'というバッキング・ヴォーカルです。私はバック・ヴォーカリストは女性とばかり思いこんでいましたが、84年のグラミー賞を見てて、男性によるものだったと知り、かなり驚きました。グラミー賞でも声を披露したこの男性は、ロリー・ダッド(Rory Dodd)というカナダ生まれのヴォーカリストで、ジム・スタインマンがミート・ローフ人脈で連れてきた人物です。ロリーはビリー・ジョエルの『イノセント・マン』などに参加しています。



1984年のグラミー賞での「愛のかげり」


 彼女はイギリス(ウェールズ)生まれで、この曲も先にイギリスでリリースされました。その後アメリカでもヒットしたわけですが、イギリス盤とアメリカ盤ではB面のカップリング曲が異なります。イギリス盤は「テイク・ミー・バック」(アメリカでは「愛のかげり」の次のシングルA面)ですが、アメリカ盤はブライアン・アダムスの「フロム・ザ・ハート」(Straight from the Heart)のカヴァーです。




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ドクター!ドクター! / トンプソン・ツインズ
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 イギリス出身のバンド、トンプソン・ツインズの4枚目のアルバム『ホールド・ミー・ナウ』(原題は『INTO THE GAP』)から、「ホールド・ミー・ナウ」(全米3位)に続くセカンド・シングル曲で、1984年に全米11位まで上昇した曲です。アルバムのオープニングを飾る曲で、「ホールド・ミー・ナウ」とは異なり暗い感じがイギリス的。不安をかきあてるようなイントロと、ドクター!ドクター!と呼びかけるサビ、そして♪Fever breathe your love on me~からのキラキラしたコーラス、80年代英国エレポップのお手本のような曲です。






 トンプソン・ツインズは、80年代前半、いわゆる「第2次ブリティッシュ・インヴェイジョン」と呼ばれアメリカでもヒットした英国バンドの一つ。日本盤のライナーによれば、「イギリスでは有名なブリキのおもちゃ」がグループ名の由来だとか。1977年の結成当初は4人組でしたが、ファースト・アルバム『A Product Of... (Participation)』リリース時の81年には7人編成という大所帯となり、その後メジャーのアリスタと契約してこの曲が収録された『ホールド・ミー・ナウ』をリリースした時には、トム・ベイリー(1956年1月18日生)、アフリカ系のジョー・リーウェイ(1955年11月15日生)、紅一点アラナ・カリー(1957年9月20日生)の3人となっていました。カルチャー・クラブやデュラン・デュラン、スパンダーー・バレー、ハワード・ジョーンズ、ワム!など他のブリティッシュ・インヴェイジョン勢同様に、キャッッチーなメロディーのエレ・ポップを得意としたバンドです。『イントゥ・ザ・ギャップ』からは、3枚目のシングル「ユー・テイク・ミー・アップ」が全英2位、全米44位を記録してます。

 この曲がリリースされた頃のトンプソン・ツインズの人気は高く、マクセルのカセット・テープのCMに出演したり、85年のライヴ・エイドでは、ナイル・ロジャースとマドンンナをバックにビートルズの「レヴォリューション」を歌うという、今では信じられないようなパフォーマンスを行いました。来日して「夜のヒットスタジオ」に出演したとき、司会の芳村真理がアラナ・カリーに「帽子を脱いで、ヘアスタイルを見せてほしい」と言ったところ、丁寧に断られていたという記憶があります。


マクセルのCM


 85年にリリースしたアルバム『フューチャー・デイズ』(原題は『Here's to Future Days』)はそこそこのヒットをおさめましたが、翌86年にジョー・リーウェイが脱退して以降は鳴かず飛ばず。1991年にベイリーとカリーは結婚し、カリーの生まれ故郷ニュージーランドに移住しましたが、93年にトンプソン・ツインズの解散を発表しました。現在ベイリーとカリーは離婚し、ベリーは音楽活動を続けていますが、カリーは「Miss Pekono」の名前でロンドンを拠点にデザイン系アーティストとして活躍しています。なお、リーウェイはアメリカに渡って催眠療法士として活躍している模様。

 2014年の夏から、トム・ベイリーは、ハワード・ジョーンズ、ミッジ・ユーロ、チャイナ・クライシス、カトリーナ・レスカニッチ(「ウォーキン・オン・サンシャイン」がヒットしたカトリーナ&ザ・ウェイヴスのヴォーカル)らとともに北米ツアーを敢行、トンプソン・ツインズの曲も披露しました。さらに同年12月には来日し、ビルボードライブ東京でステージを行い、80年代の洋楽ファンを大いに喜ばせました。

 トム・ベイリーのオフィシャル・サイト
  http://www.thompsontwinstombailey.com/
 Miss Pekono のオフィシャル・サイト
  http://www.misspokeno.com/
 催眠療法士として活躍するジョー・リーウェイ
  https://hypnosis.edu/hypnotherapists/joe-leeway/









ルーモアズ / タイメックス・ソーシャル・クラブ
ルーモアズ


 86年8月に全米で9位まで上がった、タイメックス・ソーシャル・クラブTimex Social Club唯一のヒット曲(ブラック・チャートでは1位、全英では13位でした)。打ち込みのビートにクールなシンセ、そしてヴォーカルもこれまたクールと、暑い夏の夜、ドライヴのお供にもってこいの曲ですモダンな。都会派R&Bと汗臭さを感じさせないヒップ・ホップ、そしてちょっとだけラップをミクスチャーしたような雰囲気です。

 タイメックス・ソーシャル・クラブは、カリフォルニアのバークレー出身のグループ。この「ルーモアズ」にコンポーザーとしてクレジットされている、マーカス・トンプソンとマイケル・マーシャル(ヴォーカル)を中心としたユニット。

 この曲のプロデューサーのジェイ・ローガンは、後にジェイ・キングとしてクラブ・ヌーヴォーを結成し、「リーン・オン・ミー」の全米No.1ヒットをとばしました(私が持っている日本盤(サンプル盤)には「J.King」の名でクレジットされていますが)。クラブ・ヌーヴォーには、同じく「ルーモアズ」のプロデューサーとしてクレジットされているDenzil Foster も参加しており、「ルーモアズ」の歌詞の一部「they(=rumoas)'re started by the jealous people」に呼応したアンサー・ソングとして「ジェラシー」という曲をつくっています。













シャウト / ティアーズ・フォー・フィアーズ

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 ティアーズ・フォー・フィアーズ(Tears For Fears)2枚目のアルバム『シャウト(原題はSongs From The Big Chair)』(84年)からのファースト・シングル。全英では4位止まりながら、翌85年には「ルール・ザ・ワールド」のヒットにより、全米で1位となりました。日本では舘ひろしが出演した、スズキの自動車カルタスのCM(「オレタチ(俺、舘)、カルタス」というコピーで有名)にも使われました。重くて暗い雰囲気なんだけど、覚えやすいメロディー、そしてエレクトロニクスの使い方が絶妙、という微妙なバランスが魅力の名曲です。
 ティアーズ・フォー・フィアーズは、 ローランド・オーザバル(Roland Orzabal)とカート・スミス(Curt Smith)によるユニット。このユニットについて、詳細はWikipediaを参照してください。

  オフィシャル・サイトはこちら[http://www.tearsforfears.net/index.html]












ジェニーズ・ナンバー / 867-5309 / トミー・ツートーン

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 82年に全米で4位まで上がったヒット曲です。原題は「867-5309 / JENNY」。イントロのギターが印象的な、奇をてらわない正統派ロックが心地よい曲です。
 トミー・ツートーンは個人名ではなく、グループ名。ヴォーカルのトミー・ヒースとギターのジム・ケラーの2人を中心としたユニットです。日本では『TUTONE-2』からの2枚目のシングル「ホウィッチ・マン」とのカップリングでリリースされましたが、こちらはヒットせず。一発屋のイメージが強い彼らですが、実は80年に「ANGEL SAY NO」という曲でトップ40入りを果たしています(38位)。

 今でもアメリカではこの「865-5309」という番号電話をかける人が多く[http://www.snopes.com/music/songs/8675309.asp]、アメリカはニュージャージー州に住むダン・ステッツ氏は、米国のすべての州で867-5309という番号に電話をかけ、「ジェニー」を突き止めようという実験をしています。[http://danstheman.com/Jenny.htm]