洋楽パラダイス
私が中高校生時代に流行した洋楽の曲を振り返るブログです。80年代が中心で、大学時代に流行した曲もあります。本業は高校の世界史教師


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70~80年代の英国ロックを振り返る「英国ロックの深い森の入り口」というブログもやっています。本業は高校の世界史教師。



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ポイズン・マインド / カルチャー・クラブ

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 80年代前半の「ブリティッシュ・インヴェイジョン」真っ盛りの時期、全米で10位まであがった曲です。原題は「Church of the Poison Mind」、アルバム『カラー・バイ・ナンバーズ』からのファースト・シングルです。
 この曲がヒットした83年、カルチャー・クラブは「君は完璧さ」(2位)、「タイム」(2位)、「アイル・タンブル・4・ヤ!」(9位)、と合計4曲ものトップ10ヒットを放っています。「君は完璧さ」や、「カーマは気まぐれ」に比べれば目立たない曲かもしれませんが、モータウン調のレトロモダンな感覚をもつ佳曲。私自身はカルチャー・クラブの曲の中では一番好きです。
 パンチの効いたソウルフルなコーラス・ワークを聴かせるのはヘレン・テリー(Helen Terry)。その後はフィル・コリンズのソロ・アルバム『3(ノー・ジャケット・リクワイアド)』にゲスト参加したり、映画『クイックシルヴァー』のサントラでレイ・バーカーJrとヂュエット(「ワン・サニー・デイ」)するなど活躍しています。彼女は86年に『Blue Note』というアルバムをリリースしていますが、プロデューサーは、Was (Not Was) のドン・ウォズです。









 ちなみにこの曲、イントロはスティーヴィー・ワンダーの初期のヒット曲「アップタイト」にソックリです。




カルチャー・クラブのオフィシャル・サイト
http://www.culture-club.co.uk/

ボーイ・ジョージは、男性監禁の罪で禁固1年3月の判決を受けました。
  http://mainichi.jp/enta/geinou/news/20090118spn00m200016000c.html
  http://jp.reuters.com/article/entertainmentNews/idJPJAPAN-35926120090118
  しかし、このロイターのウェブサイトに掲載されている写真って.....










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さよならは言わないで / コミュナーズ

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 ファルセット・ヴォイスが魅力のジミー・ソマーヴィルが、ブロンスキ・ビートに続いて結成したコミュナーズの2ndアルバム『レッド』(87年)から、「トゥモロウ」に続く第2弾シングル。87年に全英で4位まで上がりました。オリジナルはマイケル・ジャクソンのジャクソン5のヒット曲(71年に全米2位)。ですがこのコミュナーズのヴァージョンは、オリジナルの歌詞の「I never can say goodbye girl」の「girl」を「boy」に変えており、アレンジ共々75年にグロリア・ゲイナーがリバイバル・ヒット(全米9位)させたときのヴァージョンを下敷きにしています。打ち込みのビートと肩の力を抜いたように歌いこなすジミーのヴォーカルがここちよいダンサブルな曲。この曲が流れると「No, no, no, No,no,no No,no,no Huuhuu」と一緒に歌ってしまうのは私だけではないでしょう。この頃から世の中はアナログからCDに移行していったようですね。

 ジミー・ソマーヴィルはスコットランド(グラスゴー)出身のヴォーカリスト(1961年生まれ)で、友人のスティーヴ・ブロンスキとラリー・スタインバチェックとともブロンスキ・ビートを結成して、ロンドン・レコードからリリースした『エイジ・オブ・コンセント』(84年)でデビュー、「スモールタウン・ボーイ」「ホワイ」など数々のヒットを飛ばしました。ブロンスキ・ビートには、トレヴァー・ホーンのZTTからもオファーがあったという話が残っています。ジミーはゲイであることを公言し、そのことは彼の歌にも繁栄されています。「スモールタウン・ボーイ」は、ゲイである自分を受け入れてくれない両親のもとを去っていくという内容の曲で、この曲がヒットしたこと(全英3位)は、当時まだ強い偏見があったゲイに対するイメージを大きく変えたと言ってもいいでしょう。

 85年春、ジミーは突如失踪してそのままブロンスキ・ビートを脱退してしまいます。その後彼が86年に、リチャード・コールと結成したのがコミュナーズです。リチャード・コールは、ブロンスキ・ビートの3枚目のシングル「エイント・ネセサリリー・ソー」(全英17位)にゲスト参加していたピアニスト。 コミューナズは『コミュナーズ』(86年)、『レッド』(87年)と2枚のアルバムをリリースし、「ジス・ウェイ(Don't Leave Me This Way)」(全英1位)などのヒットを飛ばしましたが、89年にはいったころから2人の間に亀裂が生じ、コミュナーズはそのまま消滅してしましました。

 89年、ジミーはソロ活動を開始し、 『Read My Lips』(89年)、 『Dare To Love』(95年)、 『Manage The Damage』(99年)、 『Home Again』(05年)といった作品をリリースしています。私はこの人のヴォーカリストとしての才能と、音楽的センス(カヴァー曲の選曲の良さ!)をかなり高く評価していて、なお一層の活躍を期待しています。

公式サイト[http://www.jimmysomerville.co.uk/]







ジャクソン5


グロリア・ゲイナー



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フラッシュダンス / アイリーン・キャラ

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 マイケル・センベロの「マニアック」を紹介しておきながら、この曲を紹介するのを忘れておりました。不覚。

 当時(この曲がヒットしたのは1983年)この曲を知らなかった人はいない、というくらいのヒット曲。全米だけでなく世界中でヒットし、日本のオリコンでも1位になりました。アカデミー賞では、主題歌賞を受賞しています。1984年には、アップルコンピュータのCMに、この曲の別ヴァージョンが使用されました。
 日本では社会現象にまでなった掘ちえみ主演の人気テレビドラマ『スチュワーデス物語』(TBS系)のテーマ曲として、この曲の日本語カヴァー(歌ったのは麻倉未稀)が使われ、ヒットしました。この曲を聴くと、ジェニファー・ビールズのレオタード&だぶだぶ長靴下姿よりも、「ドジでノロマな亀」を先に思い出すのは私だけでしょうか?








「フラッシュダンス」~「マニアック」連続ヴァージョン




アップルコンピュータ社CM



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ROMEO / サヴァ・サヴァ

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 原題は「Where's Romeo?」。ニューロマ全盛当時の83年にデビュー(本国では82年)、G.I.オレンジやらパナッシュ、ナショナル・パスタイムと同系統のアイドル路線でした。が、その中でも「ファン」を名乗るのが一番恥ずかしかったバンドだったのがこのサヴァ・サヴァ(Cava Cava)。日本デビューの翌年には来日公演までやってますが、その後消息不明に。軽快なシンセに乗った甘えたような声のヴォーカルが耳について離れない、悪夢のような?曲。
 サヴァ・サヴァのメンバーは、向かって左からヴォーカルのスティーヴン・パリス、ギターのリチャード・ヒクソン、ドラムのデレク・リッチー、そしてベース&キーボードのジョナサン・ハレットの4人。イングランド南岸のボーンマス出身。ライナーによれば、81年に「ラジオ・ワン・ロードショー」という番組への出演を機に、リガード・レコードと契約したそう。リガードというと、ハイジ・ファンテイジーやワン・ザ・ジャグラー(知ってます?「パッション・キラー」って曲が小ヒット)などがいたレーベル。
 今回ライナーを見ててひっくり返るほど驚いたのが、この曲のプロデューサーが、トーク・トークを手がけたティム・フリーズ・グリーン(ノーランズもこの人がプロデュース)だったこと。バンド名も彼のアイディアかも。ライナーには「デビュー・シングル作成にあたりタイト・フィットを手がけた敏腕プロデューサー、ティム・フリーズ・グリーンを起用」とありますが、私はこの「タイト・フィット」ってバンド、まったく記憶がありません。どなたかご存じの方、インフォメーションを。







見つめて欲しい / フィル・コリンズ

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 ジェネシスのドラマー、フィル・コリンズによる84年の全米No.1ヒットで、原題は「AGAINST ALL ODDS (TAKE A LOOK AT ME NOW)」。イギリスでは2位止まりながら、アメリカではケニー・ロギンズの「フットルース」にかわり4月~5月にかけて3週連続でNo.1となっています。ちなみにこの曲から1位の座を奪ったのは、ライオネル・リッチーの「ハロー」。いやぁ、懐かしいですねぇ、まったく(笑)。まさにMTVの時代でした。
 叙情的でメロウなサウンドは、まさに「大人のサウンド」。80年代を代表する名曲の一つで、フィル・コリンズはこの曲でグラミー賞の最優秀男性歌唱賞を受賞しています。フィル・コリンズは7曲もの全米No.1ヒットを放っていますが(「ワン・モア・ナイト」「ススーディオ」、マリリン・マーティンとのヂュエット「セパレート・ライヴズ」、「グルーヴィー・カインド・オブ・ラヴ(恋はごきげん)」、「ツー・ハーツ」、「アナザー・デイ・パラダイス」)、この曲は彼が初めて全米No.1を獲得した曲です。彼のヒット曲を並べてみると、彼の凄さがよくわかりますね。(マライア・キャリーもこの曲をカヴァーしていました)。
 この曲は映画『カリブの熱い夜』(テイラー・ハックフォード監督、84年、アメリカ)の主題歌で、監督直々の以来で彼が書き下ろした曲。そのためこの曲は、アカデミー歌曲賞にもノミネートされましたが、『ウーマン・イン・レッド』の主題歌だったスティーヴィー・ワンダーの「心の愛(I Just Called to Say I Love You)」がこの賞を受賞、惜しくも受賞には至りませんでした。しかしフィルは99年に「ユール・ビー・イン・マイ・ハート」で同賞を受賞し、見事にリヴェンジを果たしています。
 この曲以後フィル・コリンズは多くの素晴らしい曲を映画の主題歌として提供していますが、これは彼自身のデビューがミュージシャンではなく子役俳優だったことにもよるでしょう。この頃彼は、アメリカのテレビドラマ『マイアミ・ヴァイス』に詐欺師の役で出演していましたが、日本語の吹き替えをやったのは、せんだみつおさんでした。










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