洋楽パラダイス
私が中高校生時代に流行した洋楽の曲を振り返るブログです。80年代が中心で、大学時代に流行した曲もあります。本業は高校の世界史教師


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70~80年代の英国ロックを振り返る「英国ロックの深い森の入り口」というブログもやっています。本業は高校の世界史教師。



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ハングリー・ライク・ザ・ウルフ / デュラン・デュラン
 ピート・バーンズ、ジョージ・マイケル、マイコー・ジャクソンは鬼籍に入り、ボーイ・ジョージは「間もなく新作リリース」というアナウンスがあったもののその後行方不明。そうした80年代アーティストの中で、いまだ(バリバリの、とは言えないまでも)現役なのがデュラン・デュラン。2017年にも来日して、武道館公演を行いました。

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 「ハングリー・ライク・ザ・ウルフ」は彼らの5枚目のシングルで、2枚目のアルバム『リオ』(82年)からの最初のシングルです。それまでは一介のアイドルバンドと見なされてきた彼らですが、この曲で初めてアメリカン・チャートにランクインし、ビルボード全米チャートの3位となりました。



 曲のベーシック・トラックは、共に歴史的名機の誉れ高いドラムマシーンTR-808とアナログシンセのジュピター8(どちらも日本のローランド社製)を駆使して、ニック・ローズが作り上げたものです。この曲は『リオ』収録にあたってプロデューサーのコリン・サーストンのもとで再レコーディングされますが、ベーシック・トラックはオリジナルのまま。コリン・サーストンはトニー・ヴィスコンティのもとでボウイの名盤『ヒーローズ』のエンジニアを務めた人物で、80年代にはプロデューサーとしても活躍した人物(故人)。この曲におけるアンディ・テイラーのギターが、些かマーク・ボラン的(T.レックスの「ゲット・イット・オン」のギター・フレーズにそっくり)なのはそういった背景もあるかもしれません。『リオ』の翌年、ニック・ローズとコリン・サーストンの2人は連名でカジャグーグーの「君はToo Shy」をプロデュースし、大ヒットさせることになります。ちなみにイントロのの笑い声やエンディングの叫び声の主は、ニック・ローズの当時のガールフレンドdった女性のもの。

 この曲が最初にアメリカでリリースされたのは1982年の6月ですが、まったくヒットしませんでした。しかし同年12月に再リリースれされ、翌1983年の3月26日付で最高位3位となります [https://www.billboard.com/charts/hot-100/1983-03-26]。このチャートアクションに貢献したのが、MTVです。ラッセル・マルケイ(バグルス「ラジオ・スターの悲劇」やキム・カーンズ「ベティ・デイヴィスの瞳」など)が手がけたこの曲のPVがMTVでヘヴィローテーションとなり、異例の再発ヒットとなったわけです。撮影はスリランカで行われたとか。こうしたMTVを通じたヒットにより、グラミー賞でもミュージックビデオを対象とした賞「Grammy Award for Best Short Form Music Video(最優秀短編ミュージック・ビデオ賞)」が1984年に始まり、「グラビアの美少女」「ハングリー・ライク・ザ・ウルフ」の2曲によりデュラン・デュランが初代のウィナーとなりました。




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彼女はサイエンス / トーマス・ドルビー

彼女はサイエンス


 奇才トーマス・ドルビー唯一の全米トップ10ヒット。原題は「She blinded With Me Science」です。83年に5位まで上がりましたが、本国イギリスでは49位と今ひとつでした。なんとも不思議なことです。当時最新のテクノロジーを駆使したエキセントリックなテクノ・ポップ(共同プロデューサーとして、TALK TALKのティム・フリーズ・グリーンがクレジットされています)で、「サイエンス!」という掛け声は、92年に亡くなった英国の科学者・TVプレゼンター、マグヌス・パイクの声のサンプリングです。この曲と次の「ハイパーアクティヴ!」で、マッド・サイエンティストというイメージ(映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』でクリストファー・ロイドが演じた、エメット・ブラウン博士=ドクみたいな人)が定着したトーマス・ドルビーですが、マグヌス・パイクの従兄弟であるジェフリー・パイクは、元祖マッド・サイエンティストとして有名です。なお曲中に出てくる言葉「Good heavens, Miss Sakamoto! You're beautiful!」の「ミス・サカモト」とは、アルバム『The Golden Age of Wireless』(82年)に参加していた矢野顕子(レコーディング中の81年には、坂本龍一と事実上婚姻関係にあった)のことだと言われています。

 トーマス・ドルビーは、本名トーマス・モーガン・ロバートソンといい、「ドルビー」は学生時代からのニックネームで、音響システムで有名なドルビー研究所がその由来だそうです。80年代を代表するテクノ職人で、バグルス「ラジオ・スターの悲劇」の共作者、ブルース・ウーリー(『The Golden Age of Wireless』にも参加)のカメラ・クラブを皮切りに、トンプソン・ツインズ、フォリナー、デフ・レパード、スティーヴィー・ワンダー、ハービー・ハンコックなどさまざまなセッションやツアーでその技を披露しています。あえて目立とうとしないところが彼のカッコいいところで、85年のライヴ・エイドでデヴッド・ボウイのバックでキーボードを弾いていたのがトーマス・ドルビーだった、というのは有名な話。またXTCとの交流もあり、バリー・アンドリュースの後任として名前があがったり(結局実現しなかった)、ツアーを嫌がるアンディ・パートリッジの代役としてトーマス・ドルビーでXTCのツアーを行おうという話もあがったことがあります(これも実現しなかった)。『The Golden Age of Wireless』には、アンディ・パートリッジも参加しています。またプロデューサーとしてもその手腕も高く評価され、なかでもジョニ・ミッチェルの『ドッグ・イート・ドッグ』やプリファブ・スプラウトの『スティーヴ・マックイーン』は素晴らしい作品です。

 しばらく音楽からは遠ざかっていましたが、2006年頃から活動を再開しており、近々ツアーを行う計画もあるようです。

 オフィシャル・サイト[http://www.thomasdolby.com/index.php]








ライフ・イン・ア・ノーザン・タウン / ドリーム・アカデミー

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 デヴィッド・ギルモア(ピンク・フロイド)がプロデューサーとしてクレジットされているデビュー・アルバムからのファースト・シングルで、1986年に全米で7位まで上がりました。アコースティックをメインにしながらも艶やかでリリカルな響きと、流麗でファンタジックなメロディーにノスタルジックな歌詞が組み合わさった素晴らしい曲です。でもってストリングスとエコーが結構スケール感も感じさせるとてくれるというアレンジにも注目。♪He said "In winter 1963, It felt like the world would freeze, with John F. Kennedy and the Beatles."という歌詞なんて、ニュー・オーダーの「1963」なんかも思い出されて、ホントに良い感じです。♪ヘイ、マン、マン、マン、マ~のコーラスが印象的で、97年にはイギリスの3人組ダリオGがこの部分をサンプリングした「サンシャイム」という曲で、全英No.1を獲得しました。

 ドリーム・アカデミーはイギリス出身のユニットで、この曲も先にイギリスでヒットしました(85年に15位)。メンバーはニック・レアード=クルーズ(Guitar, Vocal)、ケイト・セント・ジョン(Saxophon, Vocal)、 ギルバード・ゲイブリエル(Keyboard, Bass, Vocal)の3人。デビュー・アルバムからはアメリカで「ラヴ・パレード」が2枚目のシングルとしてカットされ、38位まで上昇しました(これもいい曲です)。その後87年に『リメンブランス・デイズ』、90年に『ディファレント・カインド・オヴ・ウェザー』を発表し解散、3人はいずれもソロで活動しました。ケイトはソロアルバムをリリースする一方、ブラーのアルバムに参加したり、ロジャー・イーノとの共同名義でのアルバムも発表しています。ギルバートもカラーズ・オヴ・ラヴというグループを結成しましたが、リーダー格のニックはピンク・フロイドのアルバム『対』に参加後、自らのユニットトラッシュモンクでシーンへの復帰を果たしました。99年には日本独自企画で『サムホエア・イン・ザ・サン~ベスト・オブ・ドリーム・アカデミー』がリリースされました。

 2014年に発売されたベスト&コレクション・アルバム『The Morning Lasted All Day - A Retrospective』にドリーム・アカデミー名義の新曲「Sunrising」が収録され、再結成の期待が高まっていましたが、2016年にニック・レアード=クルーズとケイト・セント・ジョンの二人がドリーム・アカデミーの名で来日し、東京と大阪でライヴを行いました。

 ステージの様子は、ニックのフェイスブックで公開されています。

https://www.facebook.com/nick.lairdclowes?fref=nf








ダリオGの「サンシャイム」が収録されたCD

テーマ:音楽 - ジャンル:音楽


セクシー・バス・ストップ / Dr. ドラゴン&オリエンタル・エクスプレス
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 正体不明のバンド、Drドラゴン&オリエンタル・エクスプレスによる76年のディスコ・ヒット。琴と尺八みたいな音色が合いの手に入り、オリエンタルな感覚も感じられるナンバーです。ライナーによれば、ビルボード誌主催によりニューヨークのルーズベルト・ホテルで開かれたDISCO FORUMで発表され、好評だった曲とのこと。
 この頃、バス停に並んでるみたいに一列になって踊る「バス・ストップ」というダンスがディスコで流行しており、75年にはアニー・ブッシュが「マンハッタン・バス・ストップ」、76年にはアルマーダ・オーケストラが「ニューヨーク・バス・ストップ」という曲をそれぞれヒットさせています。ライナーによると、フォーマル派の「ハッスル組」(ヴァン・マッコイの「ハッスル」のことでしょうね)と、カジュアル派の「バス・ストップ組」が、ディスコでは「壮絶な主導権争の真っ最中」だったらしい。

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 この曲は浅野ゆう子がカヴァーしており、そっちのほうが有名かもしれませんね。今聴くと少々イタい?歌詞は橋本淳氏。いしだあゆみでヒットした「ブルー・ライト・ヨコハマ」を筒美京平氏とのコンビでつくったひと。ジャック・ダイヤモンド作曲になってますが、これが筒美京平氏の変名。ということで、Dr. ドラゴン&オリエンタル・エクスプレスというバンドは、筒美京平氏が仕掛けたユニットだったらしい。



   SPEEDによるカヴァー


   これが「バス・ストップ」のステップです。












スピリット・イン・ザ・スカイ / ドクター&ザ・メディクス
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 ノーマン・グリーンバウムの1970年のヒット曲のカヴァー。86年の全英No.1です。外見とは裏腹に、オリジナルよりもロック色が強い感じです。歌っているドクター&ザ・メディクス(DOCTOR AND THE MEDICTS)は、ロンドンの「アリス・イン・ワンダーランド」というクラブでDJをしていたドクターを中心としたバンドらしいです。風貌はいかにもサイケって感じです。ちなみにこの曲は、バウハウスもカヴァーしています(フアンクラブ限定配布)。