洋楽パラダイス
私が中高校生時代に流行した洋楽の曲を振り返るブログです。80年代が中心で、大学時代に流行した曲もあります。本業は高校の世界史教師


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70~80年代の英国ロックを振り返る「英国ロックの深い森の入り口」というブログもやっています。本業は高校の世界史教師。



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ジョニー・カム・ホーム / ファイン・ヤング・カニバルズ

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 2枚のアルバムを残して解散したファイン・ヤング・カニバルズ(Fine Young Cannibals)の、衝撃のデビューシングル(85年)。本国イギリスでは最高位8位を記録しています。特筆すべきはヴォーカルの特異さ。ソウルフルで高低自在、哀感あふれる特徴ある声、さらにVの字に切れ込んだヘアスタイルがインパクト強い独特の風貌....と数え上げればきりがないほど。この曲ではトランペットも印象的です。

 ファイン・ヤング・カニバルズは、デヴィッド・スティール(ギター)、アンディ・コックス(ベース、キーボード)、そしてローランド・ギフト(ヴォーカル)の3人組。デヴィッド・とアンディの2人は、2トーン・ブーム華やかなりしころ「恋のスカ・ダンス」をヒットさせたザ・ビートの元メンバーでした(その他のメンバーは、ジェネラル・パブリックを結成)。

 ファイン・ヤング・カニバルズがデビューした頃のイギリスでは、スタイル・カウンシルやポール・ヤングなどソウル系の音作りが流行していた時期ですが、その中でもこのバンドはひときわ目立っていたように思います。ファーストアルバム『ファイン・ヤング・カニバルズ』はゲスト・ドラマーが参加していますが、2枚目『ザ・ロー・アンド・ザ・クックト』(88年、プロデュースはプリンス・ファミリーのボビーZ)は、打ち込み主体のリズム・トラックに、ソウルフルなヴォーカルとモータウン風の曲調がからむという斬新な音作りがなされています。これがアメリカでも受けて、アメリカでもアルバム・シングル(「シー・ドライヴス・ミー・クレイジー」)ともにNo.1を獲得しました。

 バンド解散後、ローランド・ギフトは俳優業をやっていたようですが、2002年にはソロ・アルバムをリリースしています。

 ローランド・ギフトのオフィシャル・サイト http://www.rolandgift.com/welcome.html









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アージェント / フォリナー
アージェント


 フォリナー4枚目のアルバム『4』(81年)からの第1弾シングルで、全米で4位まで上昇しました。メロディアスで覚えやすく、そしてハードさも含んだフォリナーならではの音づくり。不安をかきたてるようなイントロのギターと、サックスが印象的で、アレンジも秀逸です。ただ『ヘッド・ゲームス』までと比べると、ルー・グラムは少し高音域を出すのが苦しそうな印象を受けます。ギターの代わりに見事なソロをサックスで披露しているのは、ミック・ジョーンズが尊敬するモータウンのサックス・プレイヤー、故ジュニア・ウォーカー。彼のサックス・プレイは、サックス・プレイヤーよりもギタリストに大きな影響を与えています。また、所々で隠し味となっているシンセは、ツアーにも同行した、当時まだ無名のトーマス・ドルビーによるもの。


 アルバム『4』からは、第2弾シングル『ガール・ライク・ユー』(2位)、第3弾『ジュークボックス・ヒーロー』(26位)、そして第4弾『ブレイク・イット・アップ』(26位)の4曲がヒットし、「ビルボード」のアルバムチャートでは10週連続No.1を記録、翌年のアルバム年間チャートでも第3位となっています。またこのアルバムから、オリジナル・メンバーのイアン・マクドナルド(元キング・クリムゾン)とアル・グリーンウッドが脱退し4人組となっています。アルバム・タイトルは、4人組と4枚目のダブル・ミーニングなのでしょう。

 Wikipediaには、アルバム『4』の製作についてダリル・ホールの興味深い証言が掲載されています。曰く「あの時期はあまりにも忙しかった。だけどハッキリと覚えているのはエレクトリック・レディ・スタジオでフォリナーが『4』を製作していた事だ。僕らが『プライベート・アイズ』を製作したのと同時に彼らも製作をスタートさせていたんだ。ところが製作中にイアンとアルだけがスタジオに来て、2人が帰ると他の4人がやって来てアルバムを製作という事が繰り返された。そのうちイアンとアルはスタジオに来なくなった。まあ脱退したって事は後で知ったけどね・・・。それから僕らがアルバムを仕上げ、1年間のツアーに出て、次のアルバム『H2O』を製作する為にスタジオに戻って来てみると彼らはまだスタジオでアルバムを製作していたんだよ(笑)。それから僕らが『H2O』を仕上げてロードに出ても、まだ『4』を製作していたね。結局、彼らの方が僕らの約15倍ものレコードを売り上げる事になったけど」。

ミック・ジョーンズは、唯一のオリジナル・メンバーとなった現在もフォリナーの暖簾を守り続けています。
 公式サイト[http://www.foreigneronline.com/]





















トゥ・トライブス~フランキーの地球最後の日 / フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド




 「リラックス」に続くフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド 2枚目のシングルで、これも全英1位(84年)。この曲のヒットで、イギリスでは「リラックス」が再ヒットし、ライナーによると6月23日付の『ミュージック・ウィーク』では1位「トゥ・トライブス」、5位が「リラックス」(上昇中)となっているとか。続く「パワー・オブ・ラヴ」も1位となり、FGTHの快進撃は続きました。米ソの冷戦をテーマにした歌詞とPV(当時のレーガン米大統領とチェルネンコソ連共産党書記長のソックリさんが殴り合いをする)は、大いに話題となりました。
 2004年に行われたトレヴァー・ホーンの25周年記念コンサートにて、ホーリ・ジョンソンの代わりにライアン・モロイなる人物をヴォーカルに起用し再結成、ライブを中心に活動を続けている模様。 オフィシャル・サイト[http://www.fgth.org.uk/]
 
歌詞[http://www.lyricsfreak.com/f/frankie+goes+to+hollywood/two+tribes_10124123.html]








2004年プリンセズ・トラストでのライヴ(ヴォーカルはRyan Molloy)




ワン・シング(リーズ・トゥ・アナザー) / フィクス

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 フィクス2枚目のアルバム『リーチ・ザ・ビーチ』(83年)から、「セイヴド・バイ・ゼロ」(20位)に続く2枚目のシングルで、全米で4位まで上がったヒット曲。彼らの唯一のトップ10ヒットです。プロデュースはルパート・ハインで、イギリス出身らしく、エレクトロ風味と暗い感じのポップさが魅力。

 フィクス(The FIXX)は、イギリス出身の5人組。ポリスの全米ツアーに前座として参加したことがきっかけで、本国よりもアメリカで先にブレイクしました。90年代初頭に活動を停止しましたが、99年ころに再開、2003年にもアルバムをリリースしています。








ワーズ / F.R.デイヴィッド
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 ミッシェル・ポルナレフと並ぶ(?)フレンチ・ポップの雄(??)、F.R.デイヴィッド一世一代のヒット曲(83年)。流れるようなメロディとささやくような歌は、ロマンティックの一言であります。この後「Words91」「99Version(日本では「ワーズ2000」のタイトルでリリース)」「RADIO DANCE REMIX」など、いくどとなく再録音されています。こちらのサイトで、いくつかを聴くことができます[http://www.eurodancehits.com/frdavid.html]
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 私が持っているのは、『BEST OF FR.DAVID』というベスト盤に収録されている「99 Version」だけですが、まったくトホホな出来でした。今も元気に活躍中のようです。オフィシャル・サイトはこちら。[http://www.frdavid.net/]













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