洋楽パラダイス
私が中高校生時代に流行した洋楽の曲を振り返るブログです。80年代が中心で、大学時代に流行した曲もあります。本業は高校の世界史教師


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70~80年代の英国ロックを振り返る「英国ロックの深い森の入り口」というブログもやっています。本業は高校の世界史教師。



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インナ・ビッグ・カントリー / ビッグ・カントリー
ビッグカントリー


 83年の暮れに全米・全英でともに17位まで上がった曲。メロディアスながらも力強く、シンセとギターでバグパイプの音色を出すなど、ケルティックな雰囲気も感じられる曲です。プロデュースは当時売れっ子プロデューサーだったスティーヴ・リリーホワイト。日本では柳ジョージがカヴァー曲を発表しています。歌が始まる前の「ハッ!」という掛け声をはじめ、途中に入る掛け声がダイナミックで好きでした。

 ビッグ・カントリーにとってこの曲が3枚目のシングルです。売れなかったデビュー・シングル「ハーヴェスト・ホーム」は、これまた当時売れっ子プロデューサーだったクリス・トーマスのプロデュース。当初はアルバムもクリス・トーマスがプロデュースの予定でしたが、急遽スティーヴ・リリーホワイトに変更されました。

 日本では「一発屋」というイメージの彼らですが、実は黄金時代はこの曲の後からで、84年に発表した2枚目のアルバム『スティールタウン~ビッグ・カントリーⅡ(Steeltown)』(プロデュースはスティーヴ・リリーホワイト)は全英アルバムチャートで初の第1位となりました。さらにまたまた売れっ子プロデューサのロビン・ミラー(シャーデー、エヴリシング・バット・ザ・ガール、ブルーベルズ、スタイル・カウンシル、「ワンダフル・ライフ」のブラックなど)を起用した3枚目のアルバム『ザ・シーア(The Seer』(86年)にはケイド・ブッシュがゲストで参加し(タイトル曲でステュワート・アダムソンとデュエット)、シングルカット曲「ルック・アウェイ」は全英7位(アイルランドでは1位)という彼らの最大のヒット曲となる、という人気バンドとなります(全英アルバム・チャートでは2位)。しかしマーキュリーからリプリーズに移籍して発表した4枚目『ピース・イン・アワー・タイム(Peace In Our Time)』には、スターシップやニック・カーショウ、ゴー・ウェストなどを手がけたウルフ&フルフをプロデューサーに迎え、再度アメリカ市場を狙いますが、不発に終わってしましいました。以後90年代にはいると人気も低落していき、99年の『ドライビング・トゥ・ダマスカス(Driving to Damascus)』を最後にバンドは解散しました。

 2001年12月16日、元リーダーのスチュワート・アダムソンがハワイのホテルで自殺してしまいます。2007年には彼の意志を継ぐ形で、アダムソン以外のオリジナル・メンバー3人によりビッグ・カントリーは再結成されました。
 公式サイト  http://www.bigcountry.co.uk/home.php

 スチュワート・アダムソンは、ビッグ・カントリー結成前にザ・スキッズ(The Skids)というバンドに参加していましたが、2006年にU2がグリーン・デイとともに発表したシングル「セインツ・アー・カミング」は、このスキッズの曲のカヴァーです。





 YouTubeのオフィシャル・ビデオ [http://www.youtube.com/watch?v=j21ULe2hrY4]






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アージェント / フォリナー
アージェント


 フォリナー4枚目のアルバム『4』(81年)からの第1弾シングルで、全米で4位まで上昇しました。メロディアスで覚えやすく、そしてハードさも含んだフォリナーならではの音づくり。不安をかきたてるようなイントロのギターと、サックスが印象的で、アレンジも秀逸です。ただ『ヘッド・ゲームス』までと比べると、ルー・グラムは少し高音域を出すのが苦しそうな印象を受けます。ギターの代わりに見事なソロをサックスで披露しているのは、ミック・ジョーンズが尊敬するモータウンのサックス・プレイヤー、故ジュニア・ウォーカー。彼のサックス・プレイは、サックス・プレイヤーよりもギタリストに大きな影響を与えています。また、所々で隠し味となっているシンセは、ツアーにも同行した、当時まだ無名のトーマス・ドルビーによるもの。


 アルバム『4』からは、第2弾シングル『ガール・ライク・ユー』(2位)、第3弾『ジュークボックス・ヒーロー』(26位)、そして第4弾『ブレイク・イット・アップ』(26位)の4曲がヒットし、「ビルボード」のアルバムチャートでは10週連続No.1を記録、翌年のアルバム年間チャートでも第3位となっています。またこのアルバムから、オリジナル・メンバーのイアン・マクドナルド(元キング・クリムゾン)とアル・グリーンウッドが脱退し4人組となっています。アルバム・タイトルは、4人組と4枚目のダブル・ミーニングなのでしょう。

 Wikipediaには、アルバム『4』の製作についてダリル・ホールの興味深い証言が掲載されています。曰く「あの時期はあまりにも忙しかった。だけどハッキリと覚えているのはエレクトリック・レディ・スタジオでフォリナーが『4』を製作していた事だ。僕らが『プライベート・アイズ』を製作したのと同時に彼らも製作をスタートさせていたんだ。ところが製作中にイアンとアルだけがスタジオに来て、2人が帰ると他の4人がやって来てアルバムを製作という事が繰り返された。そのうちイアンとアルはスタジオに来なくなった。まあ脱退したって事は後で知ったけどね・・・。それから僕らがアルバムを仕上げ、1年間のツアーに出て、次のアルバム『H2O』を製作する為にスタジオに戻って来てみると彼らはまだスタジオでアルバムを製作していたんだよ(笑)。それから僕らが『H2O』を仕上げてロードに出ても、まだ『4』を製作していたね。結局、彼らの方が僕らの約15倍ものレコードを売り上げる事になったけど」。

ミック・ジョーンズは、唯一のオリジナル・メンバーとなった現在もフォリナーの暖簾を守り続けています。
 公式サイト[http://www.foreigneronline.com/]























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