洋楽パラダイス
私が中高校生時代に流行した洋楽の曲を振り返るブログです。80年代が中心で、大学時代に流行した曲もあります。本業は高校の世界史教師


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70~80年代の英国ロックを振り返る「英国ロックの深い森の入り口」というブログもやっています。本業は高校の世界史教師。



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さよならは言わないで / コミュナーズ

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 ファルセット・ヴォイスが魅力のジミー・ソマーヴィルが、ブロンスキ・ビートに続いて結成したコミュナーズの2ndアルバム『レッド』(87年)から、「トゥモロウ」に続く第2弾シングル。87年に全英で4位まで上がりました。オリジナルはマイケル・ジャクソンのジャクソン5のヒット曲(71年に全米2位)。ですがこのコミュナーズのヴァージョンは、オリジナルの歌詞の「I never can say goodbye girl」の「girl」を「boy」に変えており、アレンジ共々75年にグロリア・ゲイナーがリバイバル・ヒット(全米9位)させたときのヴァージョンを下敷きにしています。打ち込みのビートと肩の力を抜いたように歌いこなすジミーのヴォーカルがここちよいダンサブルな曲。この曲が流れると「No, no, no, No,no,no No,no,no Huuhuu」と一緒に歌ってしまうのは私だけではないでしょう。この頃から世の中はアナログからCDに移行していったようですね。

 ジミー・ソマーヴィルはスコットランド(グラスゴー)出身のヴォーカリスト(1961年生まれ)で、友人のスティーヴ・ブロンスキとラリー・スタインバチェックとともブロンスキ・ビートを結成して、ロンドン・レコードからリリースした『エイジ・オブ・コンセント』(84年)でデビュー、「スモールタウン・ボーイ」「ホワイ」など数々のヒットを飛ばしました。ブロンスキ・ビートには、トレヴァー・ホーンのZTTからもオファーがあったという話が残っています。ジミーはゲイであることを公言し、そのことは彼の歌にも繁栄されています。「スモールタウン・ボーイ」は、ゲイである自分を受け入れてくれない両親のもとを去っていくという内容の曲で、この曲がヒットしたこと(全英3位)は、当時まだ強い偏見があったゲイに対するイメージを大きく変えたと言ってもいいでしょう。

 85年春、ジミーは突如失踪してそのままブロンスキ・ビートを脱退してしまいます。その後彼が86年に、リチャード・コールと結成したのがコミュナーズです。リチャード・コールは、ブロンスキ・ビートの3枚目のシングル「エイント・ネセサリリー・ソー」(全英17位)にゲスト参加していたピアニスト。 コミューナズは『コミュナーズ』(86年)、『レッド』(87年)と2枚のアルバムをリリースし、「ジス・ウェイ(Don't Leave Me This Way)」(全英1位)などのヒットを飛ばしましたが、89年にはいったころから2人の間に亀裂が生じ、コミュナーズはそのまま消滅してしましました。

 89年、ジミーはソロ活動を開始し、 『Read My Lips』(89年)、 『Dare To Love』(95年)、 『Manage The Damage』(99年)、 『Home Again』(05年)といった作品をリリースしています。私はこの人のヴォーカリストとしての才能と、音楽的センス(カヴァー曲の選曲の良さ!)をかなり高く評価していて、なお一層の活躍を期待しています。

公式サイト[http://www.jimmysomerville.co.uk/]







ジャクソン5


グロリア・ゲイナー


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