洋楽パラダイス
私が中高校生時代に流行した洋楽の曲を振り返るブログです。80年代が中心で、大学時代に流行した曲もあります。本業は高校の世界史教師


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70~80年代の英国ロックを振り返る「英国ロックの深い森の入り口」というブログもやっています。本業は高校の世界史教師。



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君はTOO SHY / カジャグーグー
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 83年に全英1位、全米5位のヒットを記録した、カジャグーグー(Kajyagoogoo)のデビュー曲。原題は「Too Shy」。クールなヴォーカルとリズムそして硬質なシンセの音色が心地よいエレ・ポップ・ナンバーです。♪Too shy shy hush hush eye to eye♪のフレーズは、この時期中高校生だった人は誰だって記憶があるのではないでしょうか?
 デビュー当初のカジャグーグーはそのルックスの良さ、それにアルバムのプロデュースにデュラン・デュランのニック・ローズが関わった(メインのプロデュースはデュラン・デュランのプロデューサー、コリン・サーストン)ことから、デュラン・デュランに続く典型的なアイドル・バンドとしてプロモートされてしまいますが、これがどうも足枷になってしまったように思います。ちなみに八木誠氏(チープ・トリックの日本公演パンフレットのオマケ・ソノシートを思い出す!)による日本盤シングルのライナーによると、ニック・ローズはリマールのガール・フレンドを仲介としてカジャグーグーに関わったそうです。この曲の日本盤シングルには、ジャケットの別ヴァージョン写真(メンバー全員ちょっとすました表情)が、「初回プレスのみカラー・ポートレート付!!」として付けられていますが、これは下のアマゾン・リンクの『TOO SHY』の写真とも違います。一番笑ってるのがシングルの表写真、一番固い表情がシングルの裏写真、両者の中間がCD写真、といったところでしょう。ちなみにこのベスト盤CDには、リマールのソロ曲もはいってて、便利です。
 カジャグーグーの母体となったのは、ニック・ベッグス(B)、スチュワート・ニール(G)、スティーヴ・アスキュー(key)、ジェズ・ストロード(D)の4人が結成したアール・ヌーヴォーというバンドで、このバンドは80年に活動を開始しています。この時最年少のニックは17歳だったということですから、たいしたものです。この4人に、『メロディ・メイカー』紙のシンガー募集広告に応募してきたリーマルことクリストファー・ハミルが加わってカジャグーグーはスタート、デビュー曲・アルバムのヒットで幸先良いスタートを切りました。しかし、初期メンバーの4人が目指したのはエレクトリック・ファンキーなサウンドであって、リマールの参加は商業的な成功を念頭に置いた戦略にすぎませんでした。リマールの繊細なヴォーカルが、残り4人のホワイト・ファンクな音楽志向とマッチするはずもなく、4人はリーマルをクビにして、再スタートを切ります。バンドのフロント・マンが1作だけで解雇というのも珍しい話です。それもコマーシャル的には失敗ではなく、大成功だったわけですから。結局アイドル・バンドとしてプロモートされたために、リマール解雇後のカジャグーグーは、その高い音楽性にもかかわらず失速したとも言えるでしょうね。
 リマールはその後映画「ネヴァー・エンディング・ストーリー」のテーマが大ヒット、残りの4人は「ライオンズ・マウス」(プロモーション・ビデオは政治的すぎるということで放送禁止になったとか)や「ビッグ・アップル」等の素晴らしい曲をリリースしますが、大きなヒットには恵まれませんでした。今ベスト盤を聴き返してみても、なかなかいいバンドです。リマールを加入させずに、ニック・ベッグスを中心とした路線をあくまで進めていたら、もっと違った展開になったのかもしれません。










ロンリー・ガイ / レイ・ケネディ
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 原題は「You Ought Know By Now」。80年のヒット曲です。プロデュースは当時売れっ子プロデューサーだったデヴィット・フォスターで、バックの演奏はTOTOのメンバーです。日本で当時ヒットした八神純子の「パープル・タウン」(何かのCM曲でした)の前半のメロディーに酷似していて話題になりました。あまりに似ていたせいでレイ・ケネディ側からクレームがつき、八神サイドは曲クレジットにレイ・ケネディの名前を加えざるを得なかったというオチまでついています。ちなみにこの曲のクレジットは、レイ・ケネディ、デヴィッド・フォスター、そしてジャック・コンラッドの3人になっています。ジャック・コンラッドってどんな人でしょう?
 このレイ・ケネディという人、デイヴ・メイスンやジェフ・ベックなどとのセッション活動を経て、75年にKGBというバンドにヴォーカリストとして参加します。KGBには白人ブルース・ギタリストとして名をはせたマイク・ブルームフィールド、ヴァニラ・ファッジ~ベック、ボガード&アピスのドラマーであったカーマイン・アピス、ブラインド・フェイスのリック・グレッチ等が在籍してました。ちなみにグループ名は、ケネディ「K」、バリー・ゴールドバーグとグレッチの「G」、ブルームフィールドの「B」からとった....という話を聞いたような気がしますが、アピスの「A」がないのでどうも不自然な話です。
 KGBが2枚のアルバムを残して解散した後、レイ・ケネディはセッション・ミュージシャンとして活動し、ジェフ・ベックやオーティス・レディングのバックとして2回来日したということです。なんでも「セイル・オン・セイラー」という曲(ビーチ・ボーイズのヒット曲で知られているらしいですが、私は聴いたことがない曲です)は、彼の作品として有名とのこと。そしてソロとしてデビューしたのがこの曲というわけです。





ザ・リドル / ニック・カーショウ
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 『Human Racing』(83年)に続く2作目『The Riddle』からの1stシングルで、全英でも3位まで上昇しました(『MUSIC WEEK』) 。本人は必死になって否定していたが、同時期に活躍したハワード・ジョーンズと同類項であるのは誰もが認めるところ。25歳と比較的遅咲きデビューである点も共通していますな。引き締まったマスクゆえ女性ファンも多く、「I Won't Let the Sun Go Down on Me」のPVに見られるように、初期にはアイドルとしてプロモートされていました。以下日本盤アルバムのライナーに掲載されているインタビューより。
Q:「ハワード・ジョーンズとの比較」
A:「イヤッていうほど聞かれている質問だ。僕たちの似ているところは、初ヒットが同じ頃だったというだけだね。僕達を比較するような人間は、音楽を聴く耳をもたない奴らさ。」
Q:「84年のセックス・シンボルであることに対して」
A:「僕がセックス・シンボルだって?僕じゃなくてダドリー・ムーアじゃない?冗談だよ。セックス・シンボルなんて思ってもみなかったよ。」
だそうな。一時シーンから遠ざかっておりましたが99年にカムバック、現在も細々と活動中。オフォシャル・サイトはこちら