ジェネシスのドラマー、フィル・コリンズによる84年の全米No.1ヒットで、原題は「AGAINST ALL ODDS (TAKE A LOOK AT ME NOW)」。イギリスでは2位止まりながら、アメリカではケニー・ロギンズの「フットルース」にかわり4月~5月にかけて3週連続でNo.1となっています。ちなみにこの曲から1位の座を奪ったのは、ライオネル・リッチーの「ハロー」。いやぁ、懐かしいですねぇ、まったく(笑)。まさにMTVの時代でした。 叙情的でメロウなサウンドは、まさに「大人のサウンド」。80年代を代表する名曲の一つで、フィル・コリンズはこの曲でグラミー賞の最優秀男性歌唱賞を受賞しています。フィル・コリンズは7曲もの全米No.1ヒットを放っていますが(「ワン・モア・ナイト」「ススーディオ」、マリリン・マーティンとのヂュエット「セパレート・ライヴズ」、「グルーヴィー・カインド・オブ・ラヴ(恋はごきげん)」、「ツー・ハーツ」、「アナザー・デイ・パラダイス」)、この曲は彼が初めて全米No.1を獲得した曲です。彼のヒット曲を並べてみると、彼の凄さがよくわかりますね。(マライア・キャリーもこの曲をカヴァーしていました)。 この曲は映画『カリブの熱い夜』(テイラー・ハックフォード監督、84年、アメリカ)の主題歌で、監督直々の以来で彼が書き下ろした曲。そのためこの曲は、アカデミー歌曲賞にもノミネートされましたが、『ウーマン・イン・レッド』の主題歌だったスティーヴィー・ワンダーの「心の愛(I Just Called to Say I Love You)」がこの賞を受賞、惜しくも受賞には至りませんでした。しかしフィルは99年に「ユール・ビー・イン・マイ・ハート」で同賞を受賞し、見事にリヴェンジを果たしています。 この曲以後フィル・コリンズは多くの素晴らしい曲を映画の主題歌として提供していますが、これは彼自身のデビューがミュージシャンではなく子役俳優だったことにもよるでしょう。この頃彼は、アメリカのテレビドラマ『マイアミ・ヴァイス』に詐欺師の役で出演していましたが、日本語の吹き替えをやったのは、せんだみつおさんでした。
ダドリー・ムーアとライザ・ミネリが主演したラブ・コメディ映画『ミスター・アーサー』の主題歌で、原題は「ARTHUR'S THEME (BEST THAT YOU CAN DO)」。歌詞に出てくる♪If you get caught between the Moon and New York City. ......The best that you can do is fall in love (「もしあなたが月とニューヨークとの間で身動きがとれなくなったら、あなたができる最善のことは恋に落ちること」)からとった邦題でしょうけど、曲調と映画の内容に合った、覚えやすいタイトルです。「アーサーのテーマ」よりはずっといい。81年に全米チャートで3週連続No.1を獲得し、翌82年には、アカデミー賞の最優秀主題歌賞も獲得しました。映画のサントラを担当したバート・バカラックが直々に、クロスに曲作りと歌うことを依頼し、バカラック、クロス、キャロル・ベイヤー・セイガー、ピーター・アレンと共作してできあがったのが、この名曲です。クロスの透明感あふれる伸びやかな声と、ロマンティックで親しみやすいメロディーとが巧くマッチしています。 クリストファー・クロスは、80年にアルバム『南から来た男』でデビューしたシンガー・ソング・ライター。そのルックスが今ひとつゆえ、デビュー当初ワーナーは、彼の写真の代わりにトレードマークのフラミンゴのイラストを使ったプロモーションを行ったという話は有名。バック・ヴォーカルに当時ドゥービー・ブラザースのマイケル・マクドナルドが参加した「風立ちぬ」が4週連続2位(『キャッシュ・ボックス』では1位になったはず。『ビルボード』ではブロンディの「コール・ミー」に1位の座を阻まれた。)、第2弾シングル「セイリング」が1位、アルバムは6位(2年間にわたってランクシンした)という大ヒットを記録しました。翌年のグラミー賞では、新人賞、楽曲賞など5部門を独占という活躍ぶりでした。現在も元気に活躍中で、数年前に来日して土曜の午後に民放FMにナマ出演していました。あのクリアー・ヴォイスが今なお健在なのは素晴らしいことです。
81年の全米で9週間にわたりナショナル・チャートの1位を独走し、同年の最優秀楽曲賞、最優秀レコード賞を受賞した曲です。原題は「Bette Davis Eyes」。往年の名女優、ベティ・デイビス をテーマにした曲で、1975年にはこの曲をつくったジャッキー・デシャノンが自ら歌いましたが全く売れず、81年にキム・カーンズが歌って、大ヒットを記録しました。哀愁ある曲調と彼女のハスキーな声がレトロっぽさを感じさせる一方、エレクトロニクスを多用したモダンなフレイバーをも持った味わい深い名曲です。MTVの成功も、大ヒットに大きく貢献しました。 キム・カーンズ(Kim Carnes、1945年7月20日ロサンゼルス生まれ)は、16歳から女友達とデュオを組んで活動を開始し、高校卒業後すぐにプロを目指して活動を開始、66年にはニュー・クリスティ・ミンストレルズというフォーク・グループに参加しています。72年にソロとなり、エイモス~A&M~EMIアメリカとレコード会社を変え、80年にケニー・ロジャースとのデュエット曲「荒野に消えた愛(DON'T FALL IN LOVE WITH A DREAMER)」が4位、「More Love」が10位まで上がるヒットとなり注目されました。90年代には目立った活動がありませんでしたが、2004年には久々のアルバムをリリース、現在もコンスタントに活動中です。オフィシャル・サイトはこちら[http://www.kimcarnes.com/]。
今でも時々ラジオから流れてくる曲ですが、耳にすると思わず口ずさんでしまう曲。1982年に全米第3位まで上がりました。原題は「I'VE NEVER BEEN TO ME」。派手な曲ではありませんが、優しいメロディと♪I 've been to paradise . But I 've never been to me.と女性の生き方を問う歌詞とが味わい深い名曲です。もともとモータウンから1977年にリリースされた曲でしたがそのときはほとんどヒットせず、全米で97位とふるいませんでした。しかし82年にカリフォルニアのラジオ局で流れてから話題となり、再リリースされたのがこの曲。日本では86年にポーラ化粧品のCMに使われて再ヒット、オリコンでも79位まで上がっています。上の写真は再リリースされたときのもので、このときには椎名恵がカバーしていました。 面白いことに、この曲の歌詞はもともと男性用に書かれたもので、下に紹介したシャーリーンのオフィシャル・サイトには、♪Hey mister, hey mister~で始まるオリジナルの歌詞が掲載されています。 歌っているシャーリーン(CHARLINE)も歌の歌詞同様に波瀾万丈。1950年ハリウッド生まれの彼女は、1歳のときに髄膜炎にかかって病弱な子ども時代を送ります。ハイスクールを中退し、17歳で結婚して出産するも離婚、その後ドラッグにもおぼれて刑務所に収監された経験を持つということです。現在も活動中。