洋楽パラダイス
私が中高校生時代に流行した洋楽の曲を振り返るブログです。80年代が中心で、大学時代に流行した曲もあります。本業は高校の世界史教師


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70~80年代の英国ロックを振り返る「英国ロックの深い森の入り口」というブログもやっています。本業は高校の世界史教師。



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ボーイズ・オブ・サマー / ドン・ヘンリー
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 元イーグルスのドン・ヘンリー2枚目のソロ・アルバム『ビルディング・パーフェクト・ビースト』(84年)のオープニング・ナンバーで、同アルバムからのファースト・シングルです。85年に5位まで上がりましたが、夏の終わりに近い時期にリリースされていたら、チャート・アクションはさらによかったのではないでしょうかね?デジタルなリズムに官能的なギター、そして夏の終わりを感じさせるちょっと寂しい感覚は、センチメンタルな気分を誘います。寂しい内容の歌詞とも相まって、9月のこの時期になると聞きたくなる曲です。この曲を聴いて、私はレイバンの「ウェイファーラー」を買いました(笑)。印象的なギターは、ドン・ヘンリーとともに曲を共作しているマイク・キャンベル。彼はトム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズのギタリストです。マイクはアルバム中この曲だけプロデューサーとしてもクレジットされています。その他TOTOのスティーヴ・ポカロがシンセ、プロデューサーのダニー・コーチマーがギター、ラリー・クラインがベースで、それぞれクレジットされています。
 この曲のPVは映像作品としても優れており、MTV大賞を受賞しました。少年が一心にドラムを叩く表情、そして「Now I dont understand whats happened to our love」の部分での、ベッドに座る女性のけだるい感じがとても好きです。










シャイニー・シャイニー / ハイジ・ファンテイジー
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 ニューロマ最終世代、ハイジ・ファンテイジー(HAYSI FANTAYZEE )のヒット曲(83年)。写真は英盤7インチのピクチャー・ディスク(RGP 106)。プロデュースは、マッドネスやチャイナ・クライシスを手がけたリヴァプールの顔役(イアン・ブロウディには一歩も二歩も譲ってしまうが)、元デフ・スクール~ビッグ・イン・ジャパンのクライヴ・ランガー&アラン・ウィンヌタンレー(アルバムにはトニー・ヴィスコンティもクレジット)で、サビの♪Shiny shiny bad times behind me~という部分が耳に残って離れないエレポップ。アレンジや構成も面白い、ポップ・チューンです。当時のアルバムの邦題は『子どもたちの軍歌』というタイトル。
 ハイジ・ファンテイジーは、女性Vo.のケイト・ガーナー(Kate Garner)と、男性Vo.のジェレミー・ハーリー(Jeremy Healy)を2人に、表にはでないものの音楽面のリーダーであるポール・チャップリン(Paul Caplin)の3人組。ポップ・センスは抜群で、ファッション面でも注目だったのに、アルバム1枚で終わってしまいました。
関係サイト[http://www.haysifantayzee.net/]












カサブランカ / バーティ・ヒギンズ
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 1982年にヒットした、ライト&メロウなAOR。この頃はマーティ・バリンの「ハート悲しく」などのAORが受けていた時代です。バーティ・ヒギンズはフロリダ生まれ。このシングルのライナーによれば、30歳前後(当時)で、ROEMANSというバンドでドラマーとして4年ほど活動し、ピーター&ゴードン、ビーチ・ボーイズ、ローリング・ストーンズ、マンフレッド・マンといったグループのオープニング・アクトを行っていたとのこと。1971年にニューヨークへ移り、腕をみがいて再度フロリダへ戻り、80年に今のプロデューサー、ソニー・リンボと知り合いデビューしました。この「カサブランカ」、郷ひろみも日本語でカヴァーしています。






ミラー・マン / ヒューマン・リーグ
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 80年代の「エレ・ポップ」を代表するバンド、ヒューマン・リーグのヒット曲で、全英で82年に2位、全米でも翌83年に30位まで上がりました。スザンヌ・サリー&ジョアンヌ・キャサロールによるコーラスがノスタルジックさも醸し出しています。解説で今泉恵子氏が書いているとおり、60年代モータウンの雰囲気も。覚えやすいメロディーは、エレクトリックABBA面目躍如といったところでしょうか。
 ヒューマン・リーグの魅力は、シンセが奏でる心地よいリフと、爽やかな女声ヴォーカルのコンビネーションでしょう。それにヘタなくせに自意識過剰気味に歌うのが微笑ましいフィル・オーキーの野太いヴォーカルとのコントラストだと思うのですが? 







ロック・イット / ハービー・ハンコック
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 ジャズ界の大物ハービー・ハンコックが83年にリリースした『フューチャー・ショック』からのカット。それまでとは一転してによるエレクトロニクスを駆使した「打ち込み」(今や死語?)によるこの曲で、アナログ・レコードをこする「スクラッチ」という技法が広く世に知られるところとなりました。
ハービー・ハンコックは、1940年にシカゴで生まれました。7歳でピアノを始め、わずか11歳にしてモーツァルトのピアノ協奏曲をシカゴ交響楽団と共演したほどです。高校時代より彼のフィールドはジャズに移行し、その後帝王マイルス・デイヴィスのバンドに加入します。マイルスのバンドを離れた後はファンク・ミュージックに接近し、ロック的なアプローチを強めることになりました。当時売れっ子だったZTT総帥トレヴァー・ホーンは、この曲について「ハービー・ハンコックの精神状態が心配だ」(アート・オヴ・ノイズの日本盤ライナーより)と語ってましたが、シーンに与えた影響はZTT以上であったと言ってよいでしょう。
 とりわけグラミー賞の授賞式で見せたこの曲のパフォーマンスは強烈で、ハービーがスクラッチを始めると、それまで単調な動き(一方が片方の頭を叩いたり)ゆえに人形であると思われていた数名のダンサーが突如ブレイク・ダンスを踊り出すというもの。自分の襟首をつまんでロボットのような動きをみせる様はまさに近未来のダンスでした。演奏が終わってハービーが両手をあげたとき、メンバーの一人が遅れてしまったのはご愛敬。